青木 大乗(あおき だいじょう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.青木 大乗を売りたいお客様へ

青木大乗は1894年大阪府に生まれた日本画家です。本名は精一郎。関西美術院で洋画を、後に京都絵専で日本画を学びました。当初は新燈社洋画研究所を創設しましたが解散後は日本画に転向。ヨーロッパや中国などを周り、写実を基本とした作品を多く残しました。青木大乗は当時の日本画の主流からは距離をとっていたといわれており、独特の世界観を持った画家です。 その独自の筆や色使いは当時より現在の方が評価されているともいわれ、コレクターも多くなっています。

このページの目次

2.青木 大乗についての解説

青木大乗は日本画家ですが、当初は洋画を学んでいました。京都関西芸術院で洋画を学び、1924年に新燈社洋画研究所を設立。展覧会も開催していました。1935年に研究所を解散後は日本画に転向し、1937年に結城素明、川崎小虎と共に大日美術院を創立しました。 その後は日本画を書き続け展覧会などを多数行ったとされます。 青木大乗の日本画は洋画の画風も積極的に取り入れられ、他の日本画にはない独特の雰囲気があります。その画風は当時の日本画壇の主流ではありませんでしたが、大乗は気にすることもなく独自の路線で描き続けました。その自由な画風は決して褪せることなく現在の人々を魅了しています。

3.青木 大乗の歴史

青木大乗は1894年5月1日、大阪府大阪市天王寺区に生まれました。本名は精一郎、初号を宏峰といいます。天王寺中学校を卒業後、関西芸術院で洋画を学んだのち、京都絵画専門学校で日本画を学びました。そして1924年に洋画研究所の「新燈社」を開設。1935年に解散後、1937年に大日美術院を創設しました。その後は日本画制作に力を注ぎ、公募展や展覧会を多数開くこととなります。1952年には大日美術院も解散。その後は欧米や中国を周遊し、次々と作品を発表しました。 帰国後1969年に東京の大高島屋で回顧展、1978年には朝日新聞社主催の「米寿展」を開催しました。1979年4月5日、心不全のため自宅で死去。写実を基本としながら独自の趣のある画風は現代でも人気があります。

4. 青木 大乗の代表作や作者

「香心」   1924年 「焚火」   1937年 「古代土器」 1959年 「鯛」    1967年

5.青木 大乗の買取査定ポイント

まず青木大乗本人の作である証明が必要となります。鑑定書や証明書などがあれば高額の査定につながります。また制作された年代やタイトルなどがはっきり分かっているものが良いでしょう。 その他、保存状態が良い、箱があるなど骨董品の買取査定のポイントもあてはまります。
  • 青木 大乗の真作であるか(鑑定書や証明書があると良し)
  • 保存状態は良好か(シミやシワがないか、箱があるか)
  • 尺(大きさ)はどのくらいか

6.青木 大乗の取引相場価格

青木大乗の掛け軸は絵画よりも相場が安めの傾向にあります。通常の床の間に飾るサイズの掛け軸ですと2万円程が相場となります。箱などが一緒についていれば3万円を超え値がつくことあります。本物を証明する保証書や鑑定書などが一緒だとこれより高値になる可能性があるでしょう。

7.青木 大乗の買取についてのまとめ

洋画を学び、後に日本画に転向した青木大乗。特に静物画には定評があり、洋画のもつ色彩の鮮やかさと、日本画の凛とした空気が同居した青木大乗独自の世界観をもつ作品となっています。晩年はどこの団体にも所属することが無かったため、孤高の画家とも呼ばれました。しかしそれによってより青木大乗独自の世界観が崩れることなく、後世まで作品が評価されているともいえます。 そんな青木大乗の絵は現代でも評価が高くなっています。掛け軸ですとまずは真作であること、保存状態が良いこと、更に箱がついていれば高額査定の可能性があります。