荒木 月畝(あらき げっぽ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.荒木 月畝の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

荒木月畝は、1872年に栃木県足利に生まれた日本画家です。本名は荒木米子。古川竹雲に画法を学び、その後長く荒木寛畝や十畝に師事し学びます。明治34年日本美術協会で1等賞を受けるなど日本女子美術協会、日本美術協会、東海絵画協会などに出展し活躍しました。花鳥画をよくかき、女性画家に珍しい大きく迫力がありながらも画技の高い画風が高く評価されており、その作品は今も人気があり真作であれば高値がつく可能性もあります。

このページの目次

2.掛け軸作家「荒木 月畝」についての概要

荒木月畝は明治から昭和にかけて活躍した女性画家の1人で、東京画壇で大きな勢力として影響力を持っていた荒木寛畝の読画会会員として活躍していた人物です。白光社を主宰し女性画家の活躍を後押しする運動や上流階級の女性に絵を教えるなどしました。花鳥画を得意としており、女性としてはめずらしく写生を多く取る画家で、画も大きく、特徴的な画風が話題となり高く評価されていました。その作品は今も多くの人に評価されています。

3.掛け軸作家「荒木 月畝」の生い立ちや歴史

荒木月畝(本名は荒木米子)は、1872年に栃木県足利に生まれました。1902年より9年間高崎高等女等校で教員を務め、その後画を学ぶために辞職し専門的に研鑽するようになります。司馬遼太郎の短編「喧嘩草雲」のモデルにもなった田崎草雲に学んでいた画家古川竹雲に師事し、画法を学びます。その後幕末から明治に大いに活躍した荒木寛畝の元で日本画を学び、荒木十畝にも師事して研鑽を重ねました。花鳥画を得意とし、当時の女性画家にはない画風で世間に驚きを与え、高い評価を得ていました。白光社という画塾を主宰し女性画家の習いや専門としての活動のために労力を割きました。1934年、63歳で亡くなりました。

4.荒木 月畝の掛け軸作品の代表作一覧

  • 鴨図(1901年)
  • 水辺草花
  • 芙蓉鴫
  • 月桂菊花

5.荒木 月畝の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

荒木月畝の掛け軸作品は真作かどうかを証明する保証書などの有無で査定額が大きく変わります。模写や贋作もあり、本人が描いたものという証明があれば高い査定がつくこともあります。他にも作品自体の経年劣化や傷などの状態によって変動するようです。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 画のサイズ
  • 共箱がついているか
  • 荒木月畝の画という真贋保証(鑑定書などの有無)
  • 画の状態
  • 署名や落款印の有無

6.荒木 月畝の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

荒木月畝の掛け軸作品は市場に出回ることが少ないようです。現在ネットオークションで確認できる取引実績は少ないですが、10,000円から38,000円ほどの値がついています。取引実績が残っているものでは、真作と判断された梅花小禽図がかかれたもので表具が縦約199.5cm幅約56.4cmで本紙が縦約129.8cm幅約42.4cmのもので、共箱などはなく経年によるシミや汚れ・表装にやぶれ・イタミがあルものでしたが11,700円で取引をされました。

7.荒木 月畝の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

女性画家の進出に大きく貢献をした荒木月畝。その作品は女性らしからぬ大胆で大きな画を繊細に描き多くの人を魅了しています。真作で作品の状態がいいものであれば高値がつく可能性もあります。お手元に荒木月畝の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度お問い合わせくださいませ。