福岡 青嵐(ふくおか せいらん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.福岡 青嵐の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

福岡青嵐は1879年熊本県に生まれた日本画家です。本名は義雄。東京美術学校で画を学びました。学校卒業後は香川県善通寺市での滞在を経て大阪美術学校の教諭として指導にあたる一方で、精力的に作品を残し、青龍社展に長く出展を続けました。歴史的人物を描いた連作をはじめ、青嵐の作風は独特の抑揚を持った筆勢で多くの人を魅了し、高く評価されています。真作であれば高い値がつく可能性もあります。

このページの目次

2.掛け軸作家「福岡 青嵐」についての概要

福岡青嵐は明治から昭和にかけて大阪を中心に活躍し、多くの作品を残した日本画家です。その作品はゆかりの地である香川県の県立美術館に多く収蔵されています。風景画や人物画など、幅広い作品を残していますが、特に歴史的人物をモチーフに取った作品を多く残しており代表作となる「名惠伝」のシリーズ作品などがよく知られています。ある種くせのある緩急ある筆勢は福岡青嵐ならではのもので、長く出展していた青龍社の中で目立つ存在として注目され、今も多くの人を魅了し続けています。

3.掛け軸作家「福岡 青嵐」の生い立ちや歴史

福岡青嵐(本名は義雄)は1879年、熊本県に生まれました。熊本から東京に出て、東京美術学校の日本画科で画技や画法を学びました。東京美術学校を卒業したあとは、軍医として務めていた兄を頼りに香川県善通寺市に数年間滞在し、明治時代の香川の風景や人物画を多く残しました。その後、大阪に居を移し、大阪美術学校の教諭として指導にあたります。その傍らで、自らも精力的に作品創作に取り組み多くの作品を残しています。会場芸術という近代的な空間にふさわしい大画面の日本画の確立を目指す概念を提唱した日本画家の川端龍子が中心となって結成した青龍社主催の展覧会に1933年より出展を始めます。1938年に青龍社展に出展したのを機に社人へと推され、その後も没するまで青龍社展に出展しました。

4.福岡 青嵐の掛け軸作品の代表作一覧

  • 匠童話(1933年)
  • 丙丁童子(1935年)
  • 明恵伝(1938年〜1941年 連作)
  • コラコラ塚夜話(1948年)

5.福岡 青嵐の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

福岡青嵐の作品は比較的多くの作品オークションに出展されています。しかし、その中には模写の作品も少なからずあり、真作であるかどうかの判断で査定金額が大きく変動します。真作を証明する証明書や鑑定書がある場合は高い値がつく可能性もあります。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 福岡青嵐の真作であるかどうか(模写作品ではないか)
  • 本人の判や署名などがあるか
  • 画のサイズはどれくらいか
  • 画の他に箱書きや共箱などは揃っているか
  • 画の状態は良好か

6.福岡 青嵐の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

ネットオークションなどで取引された掛け軸の作品は10,000〜60,000円の値が付いています。真作と判断されているものでは、『聖観世音』を描いた絹本の掛軸があり、軸が縦209.5cm横47cm、本画のサイズが縦120.8cm、横33.5cmのもので、二重箱がついて54,000円で取引がされました。模写とされるものであっても30,000円近い額でやりとりがされるなど人気の高さが伺えます。

7.福岡 青嵐の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

昭和大阪で大いに活躍をした福岡青嵐。独特の画風と筆勢は高く評価され、今も多くの人を魅了しています。人気が高く、真作となれば掛け軸の価格が高い値で取引されることも。お手元に福岡青嵐の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度お問合せくださいませ。