福与 悦夫(ふくよ えつお)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1. 福与 悦夫の作品を売りたいお客様へ

長野が生んだ日本画名人の1人が、福与悦夫です。活動拠点は大阪がメーンだったので、同郷人と言っても長野での知名度は、さほど高くありません。資料も乏しいのでわずかな資料を基に、理解していくしかありませんが、戦前戦中戦後と南画の普及に貢献した文人として、覚えておいても損はないでしょう。

このページの目次

2. 福与 悦夫についての解説

福与悦夫は明治34年長野県下伊那郡に生れ、京都商工学校に進学しますが、病が原因で中退してしまいます。一色南城塾を経て矢野橋村と出会い、本格的に日本画を学びます。昭和3年以降日展にも出品し続けて、知名度を上げていきました。昭和35年以降南画の復興にも関わり、重鎮として活躍します。そのため人気のある方として知られています。

3. 福与 悦夫の歴史

1901年明治34年長野県下伊那郡に生れ、大正4年京都商工学校に進学するも病で中退、一色南城塾に入門し、日本画の基礎を学びます。大正13年一生の師となる矢野橋村が創立した、大阪美術学校日本画科に第一期生として進学し、本格的に日本画家としての歩みをスタートしました。以降死ぬまで大阪に拠点を移して活動し続けます。まもなく頭角を顕わし入選もしています。昭和8年に母校の助教授に就任、戦中は陸軍従軍画家として戦地に赴きます。戦後は南画の再興にも理事として関わり、重鎮となっていきます。

4. 福与 悦夫の代表作

  • 山居可楽園

5. 福与 悦夫の作品の買取査定ポイント

福与悦夫は南画家の第一人者ですが、矢野橋村の影響を無視できません。日本の気質にあった柔らかい筆使いと中庸な雰囲気が特長的です。一部の正統派日本画家らの排斥にあい、長く受難の時を過ごしていた南画を、再興させた功績は大きいものがあります。今時代では知名度がさほど高くないので、公開されている作品数も少なめですが、誰にでもわかりやすい、いい意味でのおおざっぱさが好きという人もいます。そのため買取ポイントしてはより綺麗な状態で保管することが欠かせません。

代表的な査定ポイント
  • 作品の出来栄え
  • 箱の保管状態

6. 福与 悦夫の作品の取引相場価格

福与悦夫作品の中では比較的高めの値札がついた、静物画は全体サイズが63×56センチで手ごろな大きさです。南画らしい平たんで鮮やかな色使いなので、どこに飾っても華やかな雰囲気になりそうです。若干のしみや傷がありますが目立たないレベルです。直筆サインが作品中と額裏にあります。13000円弱の評価がついています。同じく額装ですが500円の値札がついているのは、”山湖”です。真作の肉筆で絹本なので、なかなか品があって洋画のような華やかさです。昭和56年作、全体サイズは65×68×6.5センチです。傷や汚れもあって500円の評価です。

7. 福与 悦夫の作品の買取についてのまとめ

福与悦夫も南画もマニアックなので、定義が難しいのですが絵の持つ雰囲気が、万人受けしやすいので好きという人は多そうです。技巧に走らず感性を大事にしたのが、南画の魅力です。かなり評価の幅が幅広く、素人には1万円と500円の差が明確には理解できません。保管状態が良好であれば高値がつきやすくなります。