原 鵬雲(はら ほううん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.原 鵬雲の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

原鵬雲は1835年徳島県徳島市に生まれた日本の洋画草創期の画家です。通称は市助。住吉派の日本画家で高い評価を得ていた守住貫魚に師事し画法を学び、遣欧使節団に同行し当時の日本人で初めてその目で西洋美術や各地を多く目にし画風に取り入れた重要人物です。草創期に西洋画に通じ画風に取り入れた原鵬雲の功績は高く評価されており、画技の高さからも人気が高く真作であれば高値がつく可能性もあります。

このページの目次

2.掛け軸作家「原 鵬雲」についての概要

原鵬雲は日本の洋画草創期の中で最初期に西洋美術を多く目撃をした人物として重要な立場にいた人物です。その作品の多くは出身の徳島県に多く残されており徳島県立近代美術館などに収蔵されています。遣欧使節団に同行した際に多くの西洋画を目にし、また各地のスケッチなどを残した経験などを生かした画風からは今も日本における洋画草創期の貴重な資料であり、今も多くの人に注目される存在です。

3.掛け軸作家「原 鵬雲」の生い立ちや歴史

原鵬雲(通称は市助)は1835年徳島県徳島市に生まれました。1847年徳島藩の御用絵師で住吉派の日本画家で高い評価を得ていた守住貫魚に師事し画法を学びました。1862年に江戸幕府が派遣した文久遣欧使節に船中賄方兼小使者として同行し各地の情報の記録として各地で写生を行いました。イギリス、ロシア、エジプトなど写生し、パリ滞在中にはルーブル宮を訪ね、グランド・オダリスクを描き写します。帰国後は一度士分に取り立てられますが、維新後は画学の教授としていくつかの学校で教鞭をふるっていたかたわら、当時の日本では初めて西洋美術を目撃した絵師となり日本洋画草創期の重要な画家として活躍しました。1879年没。

4.原 鵬雲の掛け軸作品の代表作一覧

  • 喜根井善種像(1850年)
  • 徳島藩大森羽田出陣絵巻(1854年)
  • 喇叭手
  • 楠公桜井駅図(1877年)

5.原 鵬雲の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

原鵬雲の掛け軸作品はオークションなどに出品されることが非常に少ないようです。そのため、本人に描かれたものであるかどうかの保証書や証明書などの有無で査定額が変わります。作品自体が取り上げている題材や画の状態によっても変動します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 原鵬雲の作品か(鑑定書などの有無)
  • 保存状態は良好か(シミやよごれなどがないか)
  • 作品に署名があるか
  • 大きさはどれくらいか
  • 箱書きが揃っているか

6.原 鵬雲の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

原鵬雲の掛け軸作品は市場に出回ることが少ないようです。現在ネットオークションでも取引実績は確認できていませんが、今後市場に出品されることがあれば、高値が付く可能性があります。もしお手元に原鵬雲の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度ご連絡ください。

7.原 鵬雲の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

日本の洋画草創期に大きな役割を果たした原鵬雲。持ち合わせた高い画技と、世界各地で見た西洋画や西洋美術の知識や経験を生かした画風は多くの注目を集め、真作であれば高値がつく可能性もあります。お手元に原鵬雲の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度お問合せくださいませ。