岩佐 又兵衛(いわさ またべえ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.岩佐 又兵衛の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

岩佐又兵衛は江戸時代の1578年、現在の兵庫県に生まれた絵師です。勝以とも名乗りました。江戸初期に活躍し、浮世絵の源流を作ったとも言われる岩佐又兵衛の画風は、ドラマティックな演出と躍動感のある表現が魅力です。細部まで徹底した鬼気迫る描写は見るものを魅了し、不動の人気を誇ります。日本のみならず外国でも根強い人気があり、海外のオークションにもたびたび出品されています。

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2.掛け軸作家「岩佐 又兵衛」についての概要

江戸時代初期を代表する絵師です。国宝『洛中洛外図屏風(舟木本)』の作者としても有名な人物です。その作品は東京国立博物館をはじめ全国の美術館にも収蔵されており、重要文化財に指定されている作品も複数あります。波乱に満ちた生涯ともに、その作品の魅力は数百年にもわたって語り継がれてきました。牛若丸が母親の仇を討つ姿を描いた『山中常盤物語』は各巻12メートルで計12巻ある長大な絵巻です。凄惨な画面に漂う緊張感、人物の顔や手の表情など細部の描写は同時代の作品のなかでも独特なもので、「奇想の画家」とも称される所以です。
また豊かな頬と長い顎の人物表現、水墨画の技法や狩野派、土佐派などのスタイルも取り入れつつ独自の表現を確立したことは高く評価されています。

3.掛け軸作家「岩佐 又兵衛」の生い立ちや歴史

岩佐又兵衛は1578年、摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)に生まれました。翌年父親の荒木村重は織田信長への反逆を企てたことで追及され亡命、その後又兵衛は石山本願寺に保護されます。成人後には織田信長の息子・信雄に小姓として仕えたとされ、信雄の改易後には、京都で絵師として活躍するようになります。狩野内膳に絵を学んだという説もありますが、詳しくは明らかになっていません。1616年頃には北の庄(現在の福井市)に移り住みました。福井藩松平家の庇護を受けながら、20年以上にわたり福井で作画に励みました。1637年、江戸に移り住みさらなる制作を続け、1650年に73歳でこの世を去りました。

4.岩佐 又兵衛の掛け軸作品の代表作一覧

洛中洛外図屏風 (1614年〜1615年頃) 
豊国祭礼図屏風(江戸時代)
虎図(江戸時代)
山中常盤物語(江戸時代)
浄瑠璃物語絵巻(江戸時代)

5.岩佐 又兵衛の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

岩佐又兵衛はその知名度や人気から贋作も多く出回っています。真作であることが何より重要なポイントであるため、証明書や鑑定書がある場合は高額査定が期待できます。作品の来歴、制作年代や題名がはっきりしているかどうかも査定の際に重要なポイントです。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 岩佐又兵衛の本物の作品であるかどうか(証明書や鑑定書があると尚良い)
  • 保存状態は良好か(画面のシミや破れなどがないか)
  • 作品に署名や落款印があるかどうか
  • 大きさはどれくらいか
  • 箱書きが揃っているかどうか

6.岩佐 又兵衛の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

かつてインターネットのオークションでは、岩佐又兵衛の作だとされる人物を描いた掛け軸が70,000円で落札されたことがあります。サイズは65cmx25cm、紙本着彩で、シミなどのダメージや劣化が見られ、真作であることが断定できないものの、国文学者の尾崎久彌旧蔵のもので、箱書きのあるものでした。過去にクリスティーズのオークションにおいて合計36枚の絵と歌が描かれた蛇腹状の画冊が出品された際には、365,900ドル(約4,061万円)で取引されました。こちらは画面のサイズが約25.4cmx29.8cm、紙本着彩の作品でした。国内外での人気がある岩佐又兵衛の作品には思わぬ高値がつく可能性もあります。

7.岩佐 又兵衛の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

数奇な運命を辿り、絵師として活躍し数々の名作を残した岩佐又兵衛。謎の多い生涯とともに、独創的な又兵衛の作品には多くの人が注目しています。「浮世絵の開祖」とも評されるほどで、その影響力は大きく、江戸初期の日本美術を語る上で欠かせない人物です。その真作となれば掛け軸の価格が数百万円を超えることも珍しくはありません。

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