巌谷 一六(いわや いちろく)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.巌谷 一六の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

巖谷一六は、近江国(滋賀県)出身の官僚、漢詩人です。書家としても名高い人物で、特に行草書は瀟洒な風をなしています。日下部鳴鶴、中林梧竹と並ぶ明治の三筆の一人と称されています。また詩や画にも天賦の才能を発揮し、書画幅や屏風、扁額、碑文、手本類などを数多くの作品を遺しました。官僚としては、明治政府に出仕して要職を歴任し、その功績が讃えられ1905年に従三位、勲二等瑞宝章を授けられました。

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2.巌谷 一六の掛け軸作品についての概要

巖谷一六の号の由来は、明治時代初期の役所の公休日は「一」と「六」の付く日で、その日は筆を持つ日と決めていたことからと言い伝えられています。中沢雪城に師事して菱湖流を学んだものの、明治政府出仕後は旧習を脱して顔真卿の書を基盤とした雄渾な書風へと転じています。さらに1880年に来日した楊守敬から六朝書法を学び独自の書風を確立しました。閑職となってからは各地に旅行し、多くの場所で揮毫しました。数多くの石碑の文字を書き、現在も全国に250基以上の碑が残っています。

3.巌谷 一六の掛け軸作品の歴史や情報

巖谷一六は1834年、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)に生まれました。6歳の時に父玄通が亡くなり、幼くして家督を嗣ぎました。母利子とともに京都に赴き、同地で医術を三角棣園に、漢籍を皆川西園・家里松嶹に、書を安見氏に学びました。幼少より能書を発揮し、版下書をして学費を補ったとされています。1868年4月、徴士として新政府に出仕し、総裁局史官試補を振り出しに書記官僚の道を歩み、主に詔勅をはじめとした公文書の起草・浄書に携わりました。1891年に貴族院勅選議員に任じられなるど、数々の重要ポストを歴任しました。1905年、腎炎のため72歳で没。

4.巌谷 一六の掛け軸作品の代表作一覧

  • 六曲一雙屏風

5.巌谷 一六の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

巖谷一六は鑑定が非常に難しい作家ですが、日本の百貨店や画廊などで目録や証明書付きで購入された作品であれば価値が保証されています。巖谷一六の作品は工芸印刷、手彩色の木版画といった偽物も多く、まずは巖谷一六本人の真作であるかどうかが大きなポイントです。また保存状態は良いか、制作された年代やタイトルがはっきり分かっているかなどの一般的な骨董品の査定基準ポイントもあてはまります。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 真作であるか(有名作品の偽物や贋作が多く出回っています)
  • 作家の署名・落款(らっかん)があるか
  • 掛け軸のサイズ(高さ、横幅をご確認ください)
  • 保存状態は良好であるか(破損・汚損が目立っていないか)
  • 購入時期や金額、入手経路がわかっているか

6.巌谷 一六の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

現代の美術品市場において、巖谷一六の掛け軸作品が市場に出回ることは稀です。そのため買取相場価格は不明ですが、真作であればかなりの高額査定を見込めるでしょう。真作であること、保存状態が良いことも重要なポイントです。

7.巌谷 一六の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

官僚でありながらも能書家として多数の揮毫作品が伝わっており、巖谷一六は高価買取が期待できる作家の一人です。巖谷一六の掛け軸作品をお持ちの方は、一度査定に出してみることをおすすめいたします。