任 頤(じん い)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.任 頤の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

任頤は、清朝末期の激動の時代に、上海で芽吹いた新たな絵画運動「海上派」の代表的な作家です。優雅な筆致と鮮明な色使いは、まさに新中国の時代の空気を体現しているとも言えます。海外にもファンが多く作品の希少価値をいっそう高めていますので、意外な値がつく可能性もある作家です。

このページの目次

2.掛け軸作家「任 頤」についての概要

任頤が中国近代絵画に残した功績は、民間絵画の世界に、西洋の明るい色彩の風を吹かせたことだと言えるでしょう。伝統と新画法の出会いは風雅で華やかな花鳥画や山水画を多く生み出し、大きな反響を呼びました。中国美術史の一時代を築いた歴史上重要な作家でもあります。

3.掛け軸作家「任 頤」の生い立ちや歴史

任頤は中国浙江省出身で字は伯年、号は次遠、アヘン戦争の起こった1840年に生まれました。父の任声鶴、伯父の任熊、任薫も画家という環境に育ち、その画才は、伯父、任熊の絵を模写して黙って売り、見つかったが、突出した才能のため怒られることもなく、逆に弟子に招じられたというエピソードでも伺えます。15歳の頃から上海に住み流行作家となりますが、1861年、任頤21歳の年に太平天国の乱が始まると旗手として参加します。1864年に南京が陥落し、いったん故郷に帰った後は、寧波や蘇州で同時代の作家たちと交流を深め、1868年からは上海で創作活動に打ち込むようになりました。斬新な任頤の作品は反響を呼び、上海から勃興した新絵画運動である「海上派」の画家の中でも、抜きん出た存在感を放つようになります。全盛期には鋭い思想性が感じられる風刺的な作品群を制作しましたが、その晩年は熟練の技で風雅な花鳥画を多く描き、1895年、肺炎で逝去しました。

4.任 頤の掛け軸作品の代表作一覧

  • 以誠五十一歳小像(1877年)
  • 任伯年先生真跡画譜(1887年)
  • 池畔窺魚図(1889年)

5.任 頤の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

中国近代絵画を牽引した画家集団の「海上派」でも吴昌硕、虚谷、蒲华等とともに「海派四杰」の一人と称されるほど、歴史的価値の高い作家です。コレクターの注目度も高く、国際的なオークションにも出品を常に待たれている状況です。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 任頤作の証明ができるものかどうか(証明書や鑑定書があるかどうか)
  • 署名や印(落款)があるかどうか
  • 良い保存状態であるか(傷や汚れなどがないか)
  • 作品の大きさ(尺)はどれくらいか
  • 付属品が揃っているか(箱や袋、軸先など)
  • 作品の素材はどのようなものか

6.任 頤の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

真作であるかどうかや保存状態によって査定額は大きく変動していますが、作家の肉筆保証のされた真作、特に花鳥画では、おおむね高い値がついています。本紙が縦約128cm、横約30cmの肉筆保証済みの花鳥画の掛け軸は、「経年のスレ、汚れ、シミがある」状態でしたが、斬新な構図と個性的な筆致が任頤の特徴をよく表していると言え32,500円で落札されています。また、『田園図』という縦135cm、横31.5cmの書画は、真作であること、花鳥画であり落款も鮮明、絵の具の色も美しく残っていることに加え、軸先など付属品の保存状態もよいなど条件も整っていたこともあり73,000円で落札された実績があります。条件しだいで思わぬ値がつくこともありますので、お手元に作品がありましたら、ぜひ一度査定に出されることをおすすめいたします。

7.任 頤の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

任頤は、大きな時代の転換期だった清朝末期、自身もその荒波に翻弄されることもありましたが、中国近代絵画に大きな風穴を開けました。伝統絵画にわかりやすさを取り入れた功績は現在の評価の高さに現れています。時代を超えてなお愛される上海の人気作家です。

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