菊池 契月(きくち けいげつ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.菊池 契月の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

菊池契月は1879年に生まれた、明治から昭和期にかけて活躍した長野県出身の日本画家です。文展、帝展を中心に多くの作品を出品し、画壇での確固たる地位を築きました。凛とした雰囲気の漂う人物表現、気品あふれる世界観に魅了される人も多く、今から60年以上前に亡くなった画家ですが、現代でも非常に人気の高い作家です。真作だと判断された掛け軸には、数十万円の高値がつく可能性もあります。

このページの目次

2.掛け軸作家「菊池 契月」についての概要

画家としての活動を本格的に開始した頃より竹内栖鳳、谷口香嶠、都路華香とともに「幸野楳嶺門下の四天王」と呼ばれるほどで、その才能が早くから認められていました。滞欧期にはルネサンス期の絵画やエジプト彫刻に感銘を受け、帰国後は仏教美術や大和絵、浮世絵などの研究に没頭しました。古典に学んだことを新しい感覚でもって表現しようとした姿勢は代表作の『南波照間』の中にも見ることができます。圴一な線で描いた『涅歯』『婦女』など、白描画風の作品は契月の円熟期における代表的作品です。作品は国立の美術館や、契月の出身地の長野県の美術館にも収蔵されています。

3.掛け軸作家「菊池 契月」の生い立ちや歴史

1879年、長野県下高井郡中野町(現在の長野県中野市)に生まれました。本名は完爾。やがて文人画家の児玉果亭や高島雪松に学びます。画家になることを家人に反対されていた契月は1896年に郷里を出奔、京都で内海吉堂に入門します。その後、吉堂に紹介された菊池芳文の画塾で学び、次第に頭角を現していきます。入門の翌年、1898年には第4回新古美術品展に出品された『文殊』が褒状1等受賞、翌年第2回絵画共進会展に出品した『資忠決死』でも褒状1等を受けました。その後もめざましい活躍ぶりで、文展では7回の受賞歴があります。1922年には約1年間ヨーロッパ留学、古典の模写に励みました。昭和期に入るとその作品は円熟期を迎えました。1947年(昭和22年)には日本芸術院の会員に選出され、1950年には京都市立美術大学の名誉教授に就任、1954年には京都市の名誉市民として選ばれました。1955年に75歳でその生涯を終えました。

4.菊池 契月の掛け軸作品の代表作一覧

供燈(1910年)
鉄奬蜻蛉(1913年)
南波照間(1928年)
少女(1932年)

5.菊池 契月の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定にあたっては菊池契月の作品であるかどうかが一番のポイントです。証明書や鑑定書があること、誰からどのように入手したかという情報、作品の制作年代がはっきりしていることも査定額が高まる要素です。また保存状態が良いかどうか、付属の箱があるかなどの骨董品の査定ポイントもあてはまります。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 真作かどうか(証明書や鑑定書があるか)
  • 保存は良好か(画面のダメージはないか、箱はあるか)
  • 画面に本人の印があるか
  • どれくらいの大きさか
  • 画面に本人の署名があるか

6.菊池 契月の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

『初音』という掛け軸の作品には、画面にシミがあり状態がよくないものの、約16万円の値がつきました。こちらは絹本着彩、大きさは122cm×42cm、画面に本人の画号と落款があり、箱書きもあるものでした。2015年に人気テレビ番組で鑑定が行われた際には、女性が描かれた真作の掛け軸に120万円の高値がつきました。真作であることと状態の良いことに加え、契月の実力が存分に発揮された人物画には、高値がつけられる可能性があります。

7.菊池 契月の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

近代日本画史に残る作品を多く手がけた菊池契月。研ぎ澄まされた感性によって描かれた清冽な作品は、時を経てもなお新鮮で見るものに感動を与えます。菊池契月の作品では特に女性像の描写に定評があり、上品な雰囲気の人物画には買い手がつきやすい傾向があります。本人の作の掛け軸であれば数十万円の値がつくことも珍しくありません。

その他の掛け軸について