久保田 万太郎(くぼた まんたろう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.久保田 万太郎の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

久保田万太郎は1889年に生まれ、大正・昭和期に俳人、小説家、演出家、劇作家として活躍した多彩な文化人です。下町の人情にあふれた江戸言葉を用いた作品で知られています。数々の文学賞を受賞し、文化勲章を受章した著名な人物であることから、その書の人気が安定しています。本人の作で状態の良い作品は高額査定の可能性が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「久保田 万太郎」についての概要

久保田万太郎は三田派文学の代表的人物として知られています。江戸情緒が感じられる下町の暮らしを詠んだその作品は、芥川龍之介によって「東京の生んだ<嘆かひ>の句」と評価されました。俳句の創作では「暮雨」や「傘雨」という号を使っていたこともあり、また千野菊次郎という名前で執筆した作品もあります。演出家、劇作家としても活動し、築地座や文学座といった劇団の結成にも関わります。久保田万太郎は「俳句は余技」と言いながらも、俳誌『春燈』を主宰、『流寓抄』などの句集を手がけました。書の作品の多くは自ら詠んだ句を筆でしたためものです。

3.掛け軸作家「久保田 万太郎」の生い立ちや歴史

久保田万太郎は1889年、東京府東京市浅草区浅草田原町(現在の東京都台東区雷門)に生まれました。浅草尋常高等小学校、東京府立第三中学校、慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学予科に入学。同校の教授だった森鴎外や永井荷風に大きな影響を受けました。岡本松浜、松根東洋城に師事し俳句を学びます。1911年には『三田文学』に小説『朝顔』、戯曲『遊戯』を発表し、世にその名が知られていきました。その後も小説、戯曲、俳句など多くの分野で活動します。1937年に、岩田豊雄、岸田国士らと文学座を結成し演出家としての活動にも力を入れます。1942年には菊池寛賞を受賞、1957年に『三の酉』で読売文学賞を受賞するとともに文化勲章受章、同時に文化功労者に選ばれました。1963年急逝。没後に従三位、勲一等瑞宝章が与えられました。

4.久保田 万太郎の掛け軸作品の代表作一覧

末枯(1917年)
大寺学校(1927年)
うしろかげ(1950年)
三の酉(1956年)

5.久保田 万太郎の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

掛け軸のほか短冊、色紙に書かれた作品が取引されています。査定にあたっては、真作であることが最も大切なポイントです。そのため証明書や鑑定書がある場合は高額査定の可能性があります。来歴(入手経路や過去の持ち主など)がはっきりしているかも査定のポイントとなります。また作品のコンディション、箱の有無も査定価格に影響します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 真作であること(鑑定書または証明書がある)
  • 作品にシミや汚れ、破けなどがないか
  • 作品に落款印があるか
  • 作品の大きさはどれくらいか
  • 作品や箱に署名があるかどうか

6.久保田 万太郎の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

その作品世界に触れられる書を手に入れたいという人も多く、安定した人気があります。短冊や色紙の相場は10,000円〜15,000円です。『秋まつり』という色紙の作品には15,000円の値がつきました。こちらは状態が良好で、紙箱つき、真筆保証がされているものでした。著名な文化人の墨跡となれば手に入れたいというコレクターも多いため、真筆であれば高額で取引される可能性があります。

7.久保田 万太郎の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

小説、戯曲、俳句の創作にいかんなく才能を発揮した久保田万太郎。浅草生まれの久保田が残した作品は東京の下町文化を後世に伝える上でも貴重なものです。その書にも江戸の情緒が滲み出ています。久保田万太郎の掛け軸が市場に出る機会はそう多くはありませんが、状態の良いものであれば、数万円を超える値がつくこともあり得るでしょう。

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