奥原 晴湖(おくはら せいこ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.奥原 晴湖の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

奥原晴湖は幕末から明治期の画家です。安田老山と関東南画壇の人気を二分し、野口小蘋とともに女流南画家の双璧と称されました。幕末の志士や名士らとの関わりも深く、高値での買取も期待できる作家といえるでしょう。

このページの目次

2.掛け軸作家「奥原 晴湖」についての概要

奥原晴湖は明治初期の文人画流行時に活躍した南画家です。木戸孝允や山内容堂の庇護を得て、多くの文人と交流しました。画風は豪放磊落、力強くも理にかなった用筆や巧妙な構図が随所に見られ、世に“東海書き”と称されました。1872年には皇后陛下の御前で揮毫するなど華々しく活躍し、その活躍から「皇国名誉書画人名録」に晴湖が閨秀画家として筆頭にのぼっています。風采および性格ともに男性的で、逸話の多い女性だったと伝わっています。

3.掛け軸作家「奥原 晴湖」の生い立ちや歴史

奥原晴湖は1837年、下総古河藩大番頭の家に生まれました。経学を茅根一鴎、書を小山霞外、小山悟岡に修め、画を谷文晁門下の枚田水石に学び、やがて渡辺崋山に私淑します。画の道を志し、中央画壇を目指して上京。明清画を研究して鄭板橋、来舶清人の費晴湖にも私淑しました。豪気な女傑として知られ、木戸孝允や山内容堂ら政界の名士と広く交り文人画隆盛に尽力しました。門人300余におよんだという家塾「春陽家塾」には、当時学生だった岡倉覚三(天心)も座を置いています。晩年は熊谷に隠棲し制作を続けますが、以後の画風は色彩豊かで細密な筆致へと変化していきました。

4.奥原 晴湖の掛け軸作品の代表作一覧

  • 芦雁図(1880年)
  • 枯木群鳥図(1883年)
  • 墨堤春色図(1887年)
  • 月ケ瀬梅渓図(1896年)

5.奥原 晴湖の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

奥原晴湖は明治初期の代表的な閨秀文人画家です。高値での買取には間違いなく奥原晴湖の真作であることが条件ですが、画題はなにか、讃はついているか、サイズはどのくらいか、保存状態はどうか、などによっても査定額は大きく変動します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 鑑定書や共箱があるか
  • 奥原晴湖の署名(銘)や落款があるか
  • 画題はなにか
  • 保存状態は良好か(折れ、シミ、カビ、虫喰いなどはないか)
  • どの時期の作品か
  • 讃があるか

6.奥原 晴湖の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

奥原晴湖の作品は過去のネットオークションなどで、四幅対の四季山水図が229,200円で落札された実績があります。絹本着色の淡彩で、各幅画讃ものです。サイズは各掛軸全体の長さ214cm、横幅69cm、各画寸は長さ150cm、横幅53cm、状態は「シミ少オレ有。秋景幅の表具右端少補修有」とあり、滝脇晴華箱書が付いている作品でした。また真贋不確かな作品でも201,000円で落札されています。双幅の蘭竹図で、こちらも讃が入っています。サイズは各掛軸全体の長さ189cm、横幅22.5cm、各画寸は長さ142cm、横幅15.5cm、状態は「本紙にシミ有」と記されていました。

7.奥原 晴湖の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

豪快な気風をもつ女傑として知られた奥原晴湖。「皇国名誉書画人名録」では閨秀画家として筆頭にのぼるほどに活躍していた作家だけに、高値買取が十分期待できる作家です。奥原晴湖の作品をお持ちでしたら、是非一度査定に出されてみることをお勧めいたします。

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