山田 真山(やまだ しんざん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.山田 真山の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

山田真山は1885年沖縄県那覇市に生まれた日本画家です。本名は渡嘉敷兼慎。初めは山田泰雲や高村光雲に師事し彫刻を学びました。その後小堀鞆音に師事し日本画を学び、帝展や文展へ出展、入選を重ねました。沖縄出身で、後年は沖縄での伝統工芸の復興や平和を祈願しての創作に取り組みました。そのため沖縄では特に人気の高い作家として知られています。また伝統を重んじながらも西洋美術の画技を取り入れるなど、今も古臭くならない画風が高く評価され今も人気が高く、真作であればかなりの高い値がつく可能性もあります。

このページの目次

2.掛け軸作家「山田 真山」についての概要

山田真山は沖縄で今も非常に人気の高い画家の一人で、平和のために生きた画家として沖縄を中心に高い評価を受けている人物です。その作品は沖縄県立博物館などに収蔵されています。彫刻から表現者としてのキャリアをスタートさせましたが、日本画もよくし、文展入選を果たすなど高い評価を得ています。沖縄の伝統工芸の技法を残すなどの功績を残しましたが、日本画ではタッチや線で立体感を出すのではなく濃淡や陰影で描くなどの西洋画の陰影法を取り入れており、全体的に古臭さを感じさせないため今も多くの人を魅了し続けています。

3.掛け軸作家「山田 真山」の生い立ちや歴史

山田真山(本名は渡嘉敷兼慎)は1885年、沖縄県那覇市に生まれました。士族の家系に生まれたが幼少期に漢学者であった父が亡くなり貧しい時代を過ごします。沖縄では大工の修行をし、20歳ごろに上京、東京美術学校木彫科・彫塑科へ進学します。美術学校出身の山田泰雲や、写実主義を取り入れ木彫技術の伝統を近代へつなげる功績を残した高村光雲に師事し彫刻を学びます。1906年に中国(当時は清国)の北京芸徒学堂で教授を務めましたが、翌年に戻り日本美術院の創立にも参加した小堀鞆音に日本画を学びます。55歳で沖縄に戻りますが、沖縄戦により息子二人を亡くし、以来亡くなるまで平和を願った作品の制作に取り組みました。1977年没。

4.山田 真山の掛け軸作品の代表作一覧

  • 降魔之図
  • 結城合戦(1914年)
  • 山路之図(1918年)
  • 琉球藩設置の図(1928年)

5.山田 真山の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

山田真山は沖縄を中心に非常に人気が高く、そのため贋作も多く出回っています。真作であるかが重要なポイントになるため、証明書や鑑定書がある場合には高額での査定が期待できます。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 山田真山の本物の作品であるかどうか
  • 画の保存状態は良好か
  • 画の大きさはどれほどか
  • 画へ署名などがあるか
  • 共箱などが揃っているか

6.山田 真山の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

真贋鑑定のされていない掛け軸の価格は15,000〜250,000円ほどの値がついています。真作であると判断された場合には、かなり高額の査定がされることも珍しくありません。ネットオークションにおいて、月光観音が描かれた絹本の掛け軸が出品された際には、肉筆保証がされていて、画の大きさは横幅41cm、縦75cmの掛け軸でシミや折り目などの劣化があり、共箱がついているものが319,500円で取引されたこともあります。

7.山田 真山の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

沖縄を代表する日本画家であり平和のために創作を行った山田真山。技巧の高さと今も古臭くならない画風によって高く評価されています。また、沖縄出身ということもあり、沖縄では大変な人気を誇り、その真作となればかなり高額の査定がされることも。お手元に山田真山の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度お問い合わせくださいませ。