河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.河東 碧梧桐の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

河東碧梧桐は1837年愛媛県松山市生まれの俳人・随筆家です。五七五の形式にとらわれない新傾向俳句を展開し、2度に渡って全国俳句行脚をしています。才能を発揮したのは俳句だけではなく、書人としても素晴らしい作品を残しています。書は中村不折に強く影響を受けており、中国六朝の書風です。力強く悠々たる書風は、その後の日本書道にも影響を及ぼしています。コレクターも多く、人気のある作家なので高額の買取が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「河東 碧梧桐」についての概要

俳人・随筆家として知られる河東碧梧桐ですが、書人としての評価も非常に高く、人気がある作家です。中村不折とともに、六朝書のグループ「龍眠会」を立ち上げています。六朝風の書は、激しさはないものの、堂々としていて悠々とした作風。俳句の方では新傾向俳句といった五七五の形にとらわれない作風ですが、書もまた構図や筆致などが革新的です。とても人気がある作家で、展覧会なども開かれるほどです。

3.掛け軸作家「河東 碧梧桐」の生い立ちや歴史

河東碧梧桐は1837年愛媛県松山市に生まれます。本名は秉五郎(へいごろう)。父親の静溪は旧松山藩士で、藩校「明教館」の教授。碧梧桐も静溪の塾で漢詩を学びました。正岡子規の俳句革新運動に加わり、高浜虚子とともに子規門の双璧と呼ばれます。子規没後、五七五調の形式にとらわれない新傾向俳句運動を展開し、2回に渡って全国を俳句行脚しています。大正初め頃からは、自由律俳句を作り始め「海紅」「碧」「三昧」を相次いで発行します。1933年、俳句界からの引退を表明します。能や書にも長じた人物で、新聞記者としても活躍しています。書は、中村不折の六朝風の書に強く共感したようです。不折に倣って書を学びましたが、そこからさらに、不折とは異なる独自の書風を形成しています。1905年には不折の書帖「龍眠帖」の発行者となっています。1912年には碧梧桐と不折を中心として、六朝書の研究グループ「龍眠会」を発足しています。1937年腸チフスを患い、さらに敗血症を併発し帰らぬ人となりました。享年64歳。

4.河東 碧梧桐の掛け軸作品の代表作一覧

三千里(1910年)
碧梧桐句集(1916年)
新傾向句集(1915年)

5.河東 碧梧桐の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

河東碧梧桐の直筆であることがポイントです。その独特な書風から、碧梧桐の作風を学ぶ書家が非常に多いため、作風が似ている別の作家の作の場合もあります。落款や印があること、真作であることが重要です。軸の箱書きや箱も重要となるでしょう。俳人としてのファンと書人としてのファンがいるためコレクターも多く、とても人気のある作家です。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 保存状態がいいかどうか
  • 本人の筆跡による作品であり、真作であること
  • 鑑定書があるかないか
  • 本人の落款や印があるかどうか
  • 箱、箱書きがあるかどうか

6.河東 碧梧桐の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

価格は保存状態によっても異なります。また箱や箱書きがあることも鑑定額を大きく左右します。河東碧梧桐は俳人なので、作品は主に自作の句です。半切(34.5cm×136cm)サイズの掛け軸の相場が40,000円から45,000円です。箱と箱書きがあればさらに高額評価が期待されます。また、これより小さいサイズですが高浜虚子との合作で70,000円の値がつけられたこともあります。

7.河東 碧梧桐の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

河東碧梧桐は俳人で随筆家です。正岡子規の門下で高浜虚子とともに子規門の双璧と呼ばれました。2度の全国行脚をまとめた「三千里」などの随筆も残しています。書は中村不折とともに六朝の書に影響を受けており、悠々とした独特の筆致です。碧梧桐の書は当時としては斬新なスタイルだったと思います。俳人としては五七五の形式にとらわれない自由なスタイルを展開しました。碧梧桐の書もまた、従来の俳人の書とは大きく異なり、独特な世界観を持っています。書としての美術的価値もさることながら、俳句の内容も重要なポイントです。俳句のファンならず書のファンも多い碧梧桐の掛け軸でしたら、コレクターも多いので査定額も期待できるでしょう。

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