高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.高山 樗牛の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

31歳という若さでこの世を去った高山樗牛は、若くして高く評価された文芸評論家の一人でした。彼の思想は、日本主義・ニーチェ・日蓮から影響を受け多様な変遷を遂げてきました。急激な近代化で変転した明治時代を反映していた人物と言ってもいいでしょう。東京大学在学中に小説を書いたものの、大学卒業以降は教壇に立ちつつ文芸評論家として活躍しました。彼の思想を反映した直筆の書は、高く評価されています。

このページの目次

2.掛け軸作家「高山 樗牛」についての概要

高山樗牛は、日本や中国の古典に造詣が深い明治時代に活躍した日本の文芸評論家であり思想家です。東京大学在学中に歴史小説「滝口入道」が読売新聞の懸賞に当選を果たしましたが、大学卒業後は小説を書かなかったと言われています。卒業後は東京帝国大学などの教壇に立ち、学生に教える傍ら文芸評論家としても活躍しました。初めは日本主義を主張して国民文学を高唱、その後ニーチェの思想を賛美し始め、晩年は日蓮に傾倒しました。思想に大きな変遷がありながら、一貫して高い評価を得ていた文芸評論家です

3.掛け軸作家「高山 樗牛」の生い立ちや歴史

1871年2月28日に現在の山形県鶴岡市に生まれると、翌年には伯父である高山久平の養子になります。仙台市の第二高等学校在学中は、山形日報や同人誌に評論などを投稿。1893年東京帝国大学に入学後、在学中に執筆した小説「滝口入道」が読売新聞の懸賞に入選し脚光を浴びます。1897年には博文館に入社し「太陽」の編集主幹を務めると、日本主義を主張し国民文学を高唱し始めます。1900年には文部省から留学を命じられますが、喀血し入院したため中止になり、翌年には病中ながら書き上げた「文批評家としての文学者」の中で、ニーチェの思想を個人主義の視点から紹介しています。また、病に伏しながら理想の人格を日蓮に見出し思想の大胆な変遷を遂げました。その後は、1902年まで東大講師を務めていましたが、肺結核の症状が悪化し東大講師を辞任。31歳という若さで亡くなりました。

4.高山 樗牛の掛け軸作品の代表作一覧

近世美学(1899年)
文芸評論(1901年)
論理学(1908年)

5.高山 樗牛の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定の際に最も重要なポイントは高山樗牛本人の作品であるかどうかです。鑑定書などの証明書類や署名など真作であることを証明するものがあれば、高値で取引される可能性が高くなります。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 高山樗牛本人が書いたものかどうか
  • 箱付きを含め保存状態の良し悪し
  • 署名などの真作であることを証明できるものが作品内にあるかどうか
  • 修復済みかどうか

6.高山 樗牛の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

高山樗牛の作品はその人気の高さから高値で取引されていることが特徴です。例えば高山樗牛が20歳の時に雑誌に掲載された原稿「人生終に奈何」ですと、35万円の取引価格が付けられています。作品のサイズは横69cm×縦27cmで額のサイズは84.5cm×30cm、書面の保存状態が非常によく本人直筆の紙本水墨となっています。

7.高山 樗牛の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

日本主義・ニーチェ・日蓮と様々な思想の影響を受けて、思想の変化を受けた文芸評論家、思想家として高く評価された高山樗牛。31歳という若さでこの世を去るまで、人生、そして自我に苦悩し続け「人生終に奈何」など直筆の作品を残しました。高山樗牛の本人直筆で真作であれば数十万円の高値で取引される可能性が高いでしょう。

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