種田 山頭火(たねだ さんとうか)の作品を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説!
1種田 山頭火の作品を売りたいお客様へ
大正、昭和の俳人、種田山頭火は、季語や五七五という俳句の約束事を無視して、種田山頭火自身のリズム感を重んじる自由律俳句を詠みました。10代の頃から俳句に親しんでいた種田山頭火は、31歳で俳句を本格的に学び始めます。ここでは自由律俳句を詠む俳人である種田山頭火についてまとめてみましょう。
このページの目次
2.種田 山頭火についての解説
種田山頭火は自由律俳句の代表として知られる山口県出身の俳人です。山頭火とだけ呼ばれることも多い種田山頭火は酒癖によって身を持ち崩し、支援者の援助によって生計を立てていました。その要因は11歳の頃に起きた母の投身自殺にあるといわれています。10代中頃から俳句に親しんでいた種田山頭火は、20代後半から翻訳、評論など文芸活動を開始し、30歳過ぎから俳句を本格的に学びました。俳句を詠んだ種田山頭火の掛け軸は現在でも人気があります。
3.種田 山頭火の歴史
種田山頭火は1882年12月に山口県佐波郡で大地主種田家の長男として誕生します。10歳の頃、母が父の芸者遊びを苦にして井戸で投身自殺を図ってからは祖母によって育てられます。少年時代の楽しい思い出は母の死を持って完全に中断されてしまうのです。成人後に山口へ戻るたびに「私の性情として憂鬱にならざるを得ない」と述べており、この母の自殺が要因となって、放浪者としてその後生きていく種田山頭火を決定づける起因となっています。放浪しながら書いた掛け軸などの作品が残っています。
4.種田 山頭火の作品の買取査定ポイント
種田山頭火は1913年31歳のころより「種田山頭火」の号を本格的に使い始めており、1940年に種田山頭火58歳で脳出血のため逝去しています。そのため種田山頭火として活躍した時期は長くないため、種田山頭火の掛け軸や書幅などの作品は、あまり市場に出回ることがなく、本物であれば高額査定が期待できます。買取査定のポイントとしては本物であるか、共箱などの付属品はあるかどうか、シミ、破れ、ヤケなど保存状態に問題はないかなどが重要になってくるでしょう。
代表的な査定ポイント- 箱書があるか
- 共箱があるか
- 保存状態(シミ、ヤケはないか)
5.種田 山頭火の作品の取引相場価格
種田山頭火の作品をヤフーオークションなどのネットオークションでチェックしてみると、模写の作品で、145×27㎝の掛け軸が5,000円~50,000円、本物の書幅で250,000円前後での取引がされていました。ただこの本物の書幅も共箱などの付属品がない状態でこの値段なので、共箱などの付属品がきちんとある状態であれば、さらに高額での買取査定が期待できるでしょう。また買取市場に出回ることがそれほど多くはないので、本物の種田山頭火の作品であれば非常に貴重であり、高い値段での査定は十分期待できます。
6.種田 山頭火の作品の買取についてのまとめ
自由律俳句を詠った俳人の1人である種田山頭火の作品は貴重です。種田山頭火は、旅と酒を愛した昭和の芭蕉と称されることもあり、俳句を詠むたびに掛け軸などの作品を残していました。国内に句碑が500基以上もある種田山頭火は多くの人に愛される俳人ですので、彼の作品を求める人は多いです。
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