矢野 橋村(やの きょうそん)の作品を高価買取!掛け軸の査定ポイントを徹底解説
1.矢野 橋村の作品を売りたいお客様へ
矢野橋村は、大正から昭和時代に、大阪を中心に活躍した日本画家です。日本南画家の重陳と呼ばれ私立大阪美術学校を設立し、日本南画院の設立にも関与しました。吉川英治の小説「宮本武蔵」の挿絵でも知られています。
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2.矢野 橋村についての解説
矢野橋村は、大阪陸軍造兵廠にて勤務中に左手首を切断しますが、右手一本で南画の制作活動を行います。その後、文展にて褒章を受賞後、大正8年には大阪文化の抜本的改革を提唱する「主潮社」を結成し、自ら設立した私立大阪美術学校に併設した美術館「大来館」を住まいとし、活動しました。その後、日展審査員や芸術院賞受賞など、広く日本の美術界に貢献しました。74歳で死去後、従五位・君四等瑞宝章が追贈されました。
3.矢野 橋村の歴史
矢野橋村は明治23年、愛媛県に生まれました。本名一智、別号に知道人。明治39年永松春洋に師事します。大正3年(1914)文展にて出品作が褒章を受賞しました。大正8年直木三十五、福岡青嵐らと美術文芸研究団体主潮社を結成、大正10年(1921)日本南画院の設立に参加します。大正13年大阪美術学校を創立、昭和21年の閉校まで校長を務めました。昭和39年日本南画院会長に就任し、昭和40年74歳で亡くなりました。
4.矢野 橋村の代表作
- 『湖山清暁』(1914)
- 『渓潤』(1954)
- 『錦楓』(1960)
- 『百丈野狐』(1965)
5.矢野 橋村の作品の買取査定ポイント
矢野橋村は、南画を描くことに情熱を燃やし続け、日本における南画の衰退を食い止める影響力の強い作品を作り上げることに成功しました。特に大阪では人気があり、高い評価を受けています。それゆえに矢野橋村の作品の買取査定ポイントは、真に本人の作品(真作)かどうかが重要になります。良好で希少な作品が市場に出れば、高額となる場合があります。
代表的な査定ポイント- 真作であること
- 作品の希少性
- 作品の状態(染み、汚れ、破れがない)
- 表装の状態(染み、汚れ)
- 箱の有無
6.矢野 橋村の作品の取引相場価格
矢野橋村の作品は、模写の掛け軸が1.000円~10.000円、真作の掛け軸が5.000円~50.000円前後で取引されています。サイズはおおむね画寸法が縦30cm~130cm、幅23cm~50cmです。全体寸法が縦120cm~210cm、幅40cm~60cmです。テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」において箱書きがないということで100.000円の評価額となっていました。ゆえに作品の状態、希少性、付属品等の有無によっては先に紹介した金額以上で取引されるでしょう。
7.矢野 橋村の作品の買取についてのまとめ
矢野橋村は、大正から昭和にかけて南画界の重鎮として活躍した日本画家です。南画を描くことに情熱を燃やし、大阪の美術振興に貢献したとして高く評価されています。それゆえに良質で希少な作品が市場に出れば、高額で取引される可能性があるでしょう。
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