浅井 図南(あさい となん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ
1.浅井 図南の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ
浅井図南は江戸時代中期に活躍した本草学者であり、また画人でもありました。本草学を尾張に導入し、尾張学派の源流の一人として高い評価を得ていますが、画においても一家を成した人物です。特に墨竹画に優れ、宮崎筠圃、山科李蹊、御園中渠とともに「平安の四竹」と称されました。買取価格に期待ができる人物です。
このページの目次
2.浅井 図南の掛け軸作品についての概要
浅井図南(1706年~1782年)は医を生業としましたが、画才にも恵まれ、望月派の祖・望月玉蟾に師事しました。誰に対しても分け隔てなく接する人柄で、尾張藩医となったのちも後進を熱心に指導し、蔵書の借用を頼まれれば秘蔵書であっても惜しまず貸し与えたそうです。家塾の門人は1200人にも達し、塾はのち尾張藩医学館となりました。
3.浅井 図南の掛け軸作品の歴史や情報
浅井図南は宝永3(1706)年、京都に医師・浅井東軒の子として生まれました。名は政直、後に惟寅、字は夙夜、周北、頼母、別号に幹亭、篤敬斎があります。祖父の浅井策庵も京で名の知られた医師で、図南は儒学と本草学を松岡恕庵に学びました。享保10(1725)年、父・東幹が6代藩主徳川継友に尾張藩医として招かれ名古屋に居を移しますが、図南は京都に留まって開塾し、医学徒の養成に尽力。後に父の死により8代藩主徳川宗勝の招きに応じて尾張藩医に就任し、同地で本草学の研鑚に励みました。天明2年没、77歳でした。
4.浅井 図南の掛け軸作品の代表作一覧
- 墨竹図
- 東甫伏羲像
- 軒轅黄帝尊号(1776年)
5.浅井 図南の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内
浅井図南の作品において査定の重要ポイントはその真贋です。由来や書付など、真作を裏付けるものがあれば査定価格は高くなるでしょう。また作品の状態や仕立て、画題など、総合的な判断での査定となります。
代表的な掛け軸作品の査定ポイント- 真作を保証する極や書付などがあるか
- 浅井図南の落款や印があるか
- どのような保存状態か
- 画題はなにか(墨竹が好まれます)
- 付属品の欠けはないか
- 由来はないか
6.浅井 図南の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格
浅井図南の作品はネットオークションで真贋不確かなものでも23,065円で落札された例がございました。絹本水墨の『月下梅』で、サイズは掛け軸全体が136cm×42cm、本紙が102cm×34.5cm、状態は「本紙、表具にイタミ、シミ有、両軸先無し」と記されています。真作であれば、より高値につながる可能性もあるでしょう。
7.浅井 図南の掛け軸作品の買取についての情報まとめ
浅井図南が尾張藩医に着任してのちは、諸国の医学徒が浅井家の家塾を目指して名古屋に集まったと伝わります。また「平安四竹」とも称されたほど墨竹図には定評がありました。もし浅井図南の作品をお持ちでしたら、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。
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