浅田 宗伯(あさだ そうはく)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.浅田 宗伯の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

浅田宗伯は江戸末期から明治に徳川家の典医及び宮内省の侍医として活躍した医師であり、儒学や歴史学、陽明学にも精通し書物や書も数多く残しています。維新の時は天璋院から徳川慶喜の助命の書状を西郷隆盛に届けたことや後の大正天皇の危篤を救ったことは有名です。教養高く研究熱心だった浅田宗伯の書は、評価も高く人気があるので、高値での取引が期待できるといえます。

このページの目次

2.掛け軸作家「浅田 宗伯」についての概要

浅田宗伯は幕末から明治維新に徳川家や宮内省で医師として奉職し、漢方医学を中心に研究や執筆をして著書も多数残しています。天璋院の信頼も厚く、維新では慶喜の助命を求める書状を西郷隆盛に届ける重要な役割を果たしています。医学の他、儒学や歴史学、陽明学も学び書も優れていました。

3.掛け軸作家「浅田 宗伯」の生い立ちや歴史

浅田宗伯は、1815年に現在の長野県に代々医業を営む家に生まれました。初めて民衆に種痘(天然痘の予防接種)をした熊谷珪碩などに医学の薫陶を受け、その後は漢方医学や経書、儒学、歴史学、陽明学も修め、研鑽を積み、徳川家の典医になりました。維新では天璋院が書いた慶喜の助命を求める書状を西郷隆盛に届ける重要な役目も果たしました。また明治政府の漢方廃止に対抗し漢方の存続に尽力し、研究も熱心で執筆も多く、書も数多く残しています。

4.浅田 宗伯の掛け軸作品の代表作一覧

  • 皇国名医伝
  • 傷寒弁要 1845年
  • 雑病弁要
  • 橘窓書影
  • 勿誤薬室方函

5.浅田 宗伯の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

浅田宗伯は江戸末期から明治維新に医業の傍ら書物も多く執筆しています。フランス公使ロッシや嘉仁親王(後の大正天皇)の危篤を救ったことは有名です。書も七言絶句など数多く残しています。人柄も医師としての評価も高い浅田宗伯の作は高値がつくとこもあります。高値での買取は、浅田宗伯本人の作に間違いないというのが条件ですが、他にも保存状態の良し悪しによっても査定金額は大きく変動します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 作者の署名(銘)はあるか
  • 浅田宗伯本人の作であるかどうか(鑑定書などはあるか)
  • 保存状態は良好か(汚れや欠けはないか)
  • 素材は何でできているか
  • 付属品はあるか(箱などはあるか)

6.浅田 宗伯の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

明治維新では、天璋院の書状を西郷隆盛に届けたり、後の大正天皇の危篤も救うなど医業はもちろん、その他でも活躍した浅田宗伯の書物や書は評価が高く、市場に出回ることが多くはありませんが、4行書の書幅でサイズが111cm×62cmのものが105,000円で取引されました。

7.浅田 宗伯の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

浅田宗伯は幕末から明治維新で医業以外でも様々な活躍をしました。今では知らない人がいないくらい有名な「浅田飴」も浅田宗伯の監修で書生だった堀内伊三郎が薬飴を作り堀内の子伊三郎が販路をひろげました。著名な浅田宗伯の作品は書も書物も評価が高いので高値が期待できるといえます。浅田宗伯の作をお持ちの方は是非お問い合わせください。

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