会津 八一(あいづ やいち)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.会津 八一の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

会津八一は1881年新潟県出身の歌人、美術史家であり書家です。仏教美術への造詣が深く、美術学者として研究に勤しみ、そのかたわら俳句や和歌を制作しました。秋艸道人(しゅうそうどうじん)、または渾斎(こんさい)という号で作品を残しています。少年時代より文学に親しみ、奈良の美術を短歌で読み上げました。故郷や草花を詠んだ短歌も多いです。書は中国の古典から現代書まで研究し、自らの書を築いています。個性的でわかりやすい書はコレクターも多く高価買取が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「会津 八一」についての概要

会津八一は、奈良の美術や故郷である新潟についての歌を読みました。艸道人(しゅうそうどうじん)という雅号は、自邸を「秋艸堂」と呼んでいたことから付けられました。「艸」は「草」で、萩・菊・葉鶏頭など秋の草花を好んだ会津八一らしい号です。東洋美術の中でも奈良の仏教美術への造詣が深く、奈良についての歌が多く残されました。掛け軸は書画です。中国の古典や現代書まで深く研究した会津八一の書は、独自の筆致です。教育者でもあった会津八一。書もまた読みやすく分かりやすく書かれています。その書作は愛好家や研究者も数多く存在します。

3.掛け軸作家「会津 八一」の生い立ちや歴史

秋艸道人(しゅうそうどうじん)、または渾斎(こんさい)という号で創作活動をしました。特に仏教美術への関心が深く、生涯に渡って何度も奈良に足を運んでいます。中学の頃から万葉集や良寛の書に興味を持っていた会津八一は、新潟尋常中学校を卒業すると上京し、現在の早稲田大学に入学します。早稲田中学校教員となると美術史などを教えました。その一環として奈良を訪ねた会津八一は生涯に渡り仏教をはじめとする古美術の研究をライフワークとすることを決意します。会津八一は教育熱心で自宅「秋艸堂」に門下生を招き勉強会や座談会が頻繁に行われました。妥協を許さぬ人柄から、孤高の学者として知られています。1956年没。

4.会津 八一の掛け軸作品の代表作一覧

  • 渾斎近墨(1941年)
  • 遊神帖(1947年)
  • 会津八一全歌集(1951年)

5.会津 八一の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

会津八一の直筆であることが重要です。会津八一は作品に秋艸道人(しゅうそうどうじん)という雅号を使っています。箱や箱書きがあることや鑑定書があるかどうかが重要なポイントです。落款や印があることもポイントです。日本全国に歌碑が建てられるほど有名な人物です。奈良の仏教美術や故郷の新潟について詠んだ歌が多く、書かれている歌の内容も査定に影響します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 保存状態が良いこと
  • 本人直筆で真作であること
  • 歌の内容
  • 鑑定書があれば尚良い
  • 箱書きがあるかどうか
  • 本人直筆の箱書きかどうか

6.会津 八一の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

会津八一(秋艸道人)「みほとけのうつる まなこに いにしへの やまとくにはら かすみてあるらし」は、箱書自筆共箱で81,000円の値をつけました。会津八一の自作の和歌です。「墨竹自画賛(安藤更生箱書 思文閣目録所載品)」の掛け軸は、色紙くらいの大きさの作品ですが200,000円で落札されています。人気作家のため複製も作られております「ふぢはらの…(複製)」は、186.5cm×40.0cmサイズの掛け軸で38,880円で販売されています。

7.会津 八一の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

会津八一は1881年新潟県出身の歌人、美術史家であり書家です。仏教美術への造詣が深く、美術学者として研究に勤しみ、そのかたわら俳句や和歌を制作しました。秋艸道人(しゅうそうどうじん)、または渾斎(こんさい)という号で作品を残しています。少年時代より文学に親しみ、良寛に傾倒します。奈良の仏教美術に心酔した会津八一は、古美術の研究をライフワークとしました。自邸「秋艸堂」には門下生が集まり、勉強会や座談会を行うなど、教育にも熱心でした。書は中国の古典から現代書まで研究し、自らの書を築きあげました。「独往の書家」と呼ばれ、個性的でわかりやすい書を残しています。その書作は愛好家や研究者も数多く存在するほど人気がありますので、是非一度査定をしてみてはいかがでしょうか。

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