秋山 好古(あきやま よしふる)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ
1.秋山 好古の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ
秋山好古は明治期の陸軍軍人であり、おもに日露戦争で武勲をあげました。本来は掛け軸作家ではありませんが、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』において、弟の真之と共に主人公として描かれたことが影響してか、彼の書作品は保存状態を問わず高い人気があります。そのため査定額も比較的伸びやすいといえるでしょう。
このページの目次
2.掛け軸作家「秋山 好古」についての概要
「日本騎兵の父」とも称される、日露戦争の英傑が秋山好古です。満州の地においてロシア軍10万人を、指揮官として騎兵8千人で迎え撃った黒溝台の合戦は、『坂の上の雲』でもとりあげられた彼の大きな功績といえます。このように軍人としての評価が高い一方で、好古は書にも長けていました。故郷松山の生家には直筆の書が展示され、街には頼まれて書いたという石碑が多く残っています。
3.掛け軸作家「秋山 好古」の生い立ちや歴史
秋山好古は1859年、松山のとある貧家に生を享けました。学校にも通えないほど家計は貧しい中、教師になる夢を諦められなかった好古は独学で勉強し、1876年に小学校の教師となって夢をかなえました。しかし弟真之のこともあり、翌年には生活費免除の士官学校に入学、軍人の道を選びます。1894年に日清戦争で初陣を飾り、1904年の日露戦争では騎兵部隊の指揮官として満州にて従軍。ロシア軍10万の奇襲を騎兵わずか8千で退却させた黒溝台の合戦の勝利によって、日本軍に大きく貢献しました。1923年に退役した翌年に故郷の松山で中学校の校長に就任。約50年ぶりにふたたび夢をかなえた好古は、おだやかな教育者として晩年を過ごしたといいます。
4.秋山 好古の掛け軸作品の代表作一覧
『坂の上の雲』の影響もあり、人気が高い秋山好古の掛け軸はネットオークションなどでも高値で取引されています。真作だと断言できる逸品ならば高額査定が期待できるでしょう。他にも付属品の有無や作品の大きさなども査定におおきく関係してきます。
代表的な掛け軸作品の査定ポイント- 現在の保存状態はどうか(よくない場合は高温多湿と直射日光を避けて保管すべき)
- 真作ならば保証する鑑定書または証明書の現存が望ましい
- 真贋判定に役立つ共箱や共布といった付属品はあるか
- 署名の有無(作品自体にない場合も、付属品にサインされている可能性あり)
- 掛け軸自体の素材の良し悪し(いい作品にはいい表装を施す傾向にある)
5.秋山 好古の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内
秋山好古が手がけた書作品の相場は市場では数万円といったところです。真贋不明のため模写として出品された『一行書』(本紙約129.5cm×約30.5cm)は「紙本、落款。作品に時代感や多少の巻きじわがあり、染みやヤケなどがあります。表装にも、多少の巻きじわと剥げ、破れや染み、補修痕などがあります。委託品です。」とけっして状態はよくない旨が説明されているにもかかわらず32,000円で落札されました。模写と謳い、参考画像でもあからさまにシワが目立つ作品でもここまでの値段がつきます。また真作と断言した作品ならば、総丈194cm×44.5cm、本紙133cm×33cmで、状態を「紙本、布装。合せ箱付き、シミ、折れがあります。」とした『治身者以積精為寶』が75,000円で取引された実績があります。
6.秋山 好古の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格
本業の掛け軸作家ではないにもかかわらず、その波瀾万丈な人生で後世の人々を魅了し、「彼の書が欲しい」と思わせる魅力を持つ秋山好古。彼の作品は取引実績を分析してみてもわかるように、あからさまな状態劣化が見られても高値がつく場合があります。お手持ちの掛け軸がみすぼらしくてみっともないからと査定をご遠慮しないでください。遠回りして教育者の夢をかなえた秋山好古のように、諦めなければ思わぬお宝だと判明するかもしれません。
7.秋山 好古の掛け軸作品の買取についての情報まとめ
その他の掛け軸について
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