朝井 観波(あさい かんぱ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.朝井 観波の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

朝井観波は20歳のころより近代の日本画壇で活躍した日本画家です。その作風はアジャンター壁画と呼ばれるインドの伝統的壁画に影響を受けた時期と花鳥画の追求に努めた時期とに分けられますが、いずれにおいても品格ある展覧会で幾度となく入選を果たした実力派といえるでしょう。そのためか、彼の作品は保存状態に左右されない取引実績があります。

このページの目次

2.掛け軸作家「朝井 観波」についての概要

朝井観波は大正から昭和初期にかけての日本画壇において、若くしてその名を轟かせた日本画家です。20歳のころに日本美術院再興院展で初出品初入選を果たしたことを皮切りに、栄誉ある展覧会に多くの作品を送り出しました。その画才は、かの横山大観もおおいに認めるものであったといいます。

3.掛け軸作家「朝井 観波」の生い立ちや歴史

朝井観波は1897年に東京は本郷で生まれました。本名を行五といい、漢学者の父に育てられます。川端画学校で絵を学び、1917年第4回再興院展にて初出品作『盂蘭盆』が初入選。同年には荒井寛方の渡印に随伴しアジャンター壁画を模写するなどインドの伝統的絵画からおおいに刺激を受けました。1918年、20年の院展ではその経験を活かし、インドの古代説話をモチーフとした作品を出品。見事入選し、日本美術院院友として頭角を現します。1922年には日本美術院脱退して花鳥画に傾倒、5年後の第8回帝展にて『軍鶏を呼ぶ少女』で初入選を果たします。その後も3度に渡り帝展に入選する活躍を見せるも、1936年の文展監査展を最後に日本美術界の第一線より身を退きました。

4.朝井 観波の掛け軸作品の代表作一覧

朝井観波の作品はおもに、インド壁画に影響を受けた日本美術院時代と脱退後に花鳥画を研究した時期とに分かれます。いずれも真作であればじゅうぶんな高値で査定される傾向にあります。もちろん状態が良好であるか、付属品は揃っているかなども重要なポイントといえるでしょう。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 落款や為書などから朝井観波の作品と判断されるか
  • 中身や表装はどんな素材でつくられているか
  • シミ・シワといった状態劣化はどの程度か
  • 付属品の種類とその有無(箱、鑑定書、裏書など。箱ならば素材はなにか)

5.朝井 観波の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

朝井観波の作品は題材次第で、中古品でも数万円の値段で取引が成立します。近年で特に目立つ案件ですと「絹本、真作、掛け軸、箱付、状態は良好ですが、若干の小さなヨゴレはご了承下さい。」との説明と共に出品された『観世音菩薩』(軸寸182.5cm×57.3cm、本紙86.5cm×41.5cm)が39,500円で落札されました。作家人生後期に氏がこだわった花鳥画ならば「紙本、真作、掛け軸、共箱、状態は良好ですが、一部シワはご了承下さい。」とした軸寸155cm×75cm、本紙51cm×59.5cmの『軍鶏長閑』が18,963円で取引された実績があります。

6.朝井 観波の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

朝井観波は若干20歳にして院展初出品初入選を果たし、作風を変えながらも結果を残しつづけた希代の日本画家です。彼の作品は完璧とはいえない保存状態にもかかわらず数万円での取引が多く成立しています。もし物置の奥に彼の掛け軸作品が眠っているならば、多少のよごれは気にせず一度査定のプロにお任せください。

7.朝井 観波の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

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