浅野 長祚(あさの ながよし)の作品を高価買取!掛け軸作家の査定ポイントを徹底解説!
1.浅野 長祚の作品を売りたいお客様へ
浅野長祚は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて、幕臣(旗本)として活躍した人物です。幼少より父親から漢詩や和歌などを学び、蔵書家や芸術鑑定家としての顔も持ちました。自らも画を能くし、多くの作品を残したほか、市場では、浅野長祚が在職中であったときの書簡や、一線を退いた後の詩文・書画などが一部出回っており、状態の良いものであれば高価な買取が期待できます。
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2.浅野 長祚についての解説
浅野長祚(1816~1880年)は、江戸出身の幕臣です。江戸時代末期から明治時代にかけて旗本などを勤めました。通称は金之丞。号の梅堂(ばいどう)としても知られます。そのほかにも、池香、蒋潭、蝦侶斎漱芳閣、楽是幽居、柏洪楼などとも名乗りました。浅野長祚の娘である花子は同じく旗本などを勤めた川路寛堂に嫁いでいます。
3.浅野 長祚の歴史
浅野長祚は1816年、現在の千代田区である江戸飯田町に、旗本浅野長泰の子として生まれました。幼少より父から学び、漢詩、和歌、俳句等に親しみ、書画にも優れました。その後、出羽亀田藩主岩城隆喜の3女である直子と結婚。1839年に使番となってからは、奉行として仕えたのち左遷されるなどしましたが、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺され、再び江戸北町奉行に就任。1862年には第一線から退き、詩文・書画に没頭しました。1880年没、65歳でした。
4.浅野 長祚の作品の買取査定ポイント
浅野長祚の画はあまり市場に出回っておらず、詩や三行書、書簡などが一部残るのみです。そのため、浅野長祚本人のものであることを証明する鑑定書の有無が査定額に大きく影響するでしょう。
代表的な査定ポイント- シミ汚れ、欠けなどがなく保存状態は良好か
- 浅野長祚の作であるかどうか(証明書や鑑定書があればお持ちください)
- 作者の署名、落款(らっかん)があるか
- 保存状態は良いか(しみや焼けなどが少なければ評価額も上がります)
- 書簡であれば、誰に宛てたものか、またその内容
5.浅野 長祚の作品の取引相場価格
浅野長祚の作品は、惜しいことにあまり市場に出回っていません。国内のネットオークションで、浅野長祚の『紅葉詩・三行書』とされるものが16,100円で取引された実績があります。この作品は表具が縦208cm×横66cm、本紙縦132cm×横52cm、箱は無く、絖本によるもので、本紙に多少シミが有るとして出品されたものでした。
6.浅野 長祚の作品の買取についてのまとめ
旗本として幕府に仕え、左遷などに合いながらも地道に制作を続け、その技量が認められた浅野長祚。書は杉浦西涯に、画は栗本翠庵、椿椿山に学んだ浅野長祚は多くの作品を残したと言われていますが、現在市場に出回っている作品は多くはありません。もし作品が見つかれば貴重なお品である可能性も高いため、ぜひ一度査定に出されることをおすすめします。
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