伊達 政宗(だて まさむね)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.伊達 政宗の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

戦国武将の1人として、小説やドラマの主人公のモデルにもなったことのある、伊達政宗。武将としての功績のほか、さまざまな文化を東北にもたらした人物としても知られ、ローマに派遣使節を送るなど世界情勢にも目を向けていました。人気が高い歴史上の人物なので絵画や書、和歌は当然のことながら、自筆の書状にも高額な査定が期待できる人物です。

このページの目次

2.掛け軸作家「伊達 政宗」についての概要

伊達政宗は、戦国大名の1人で安土桃山・江戸時代の初期の武将であり、仙台藩の祖としてよく知られています。幼い頃に病にかかり、右目を失明。そのため「独眼竜」と称されるようになります。豊臣秀吉、徳川家康に仕え、徳川幕府が開かれた後は、仙台藩62万石を領地としました。茶道、能楽、絵画、書道、歌にも優れ、政宗の詠んだ和歌は「新後拾遺集」にも入選。文化人という1面も持っています。

3.掛け軸作家「伊達 政宗」の生い立ちや歴史

伊達政宗は1567年に生まれ、幼名を梵天丸と言います。政宗は幼少のころに天然痘よって、右目を失明し、隻眼となります。11歳で元服後、幼名の梵天丸から伊達藤次郎政宗と名乗るようになります。1584 年に家督を継いだ後、磨上原の戦で蘆名氏を破り、陸奥、出羽などの全会津を制覇しますが、翌年の1590年の戦で豊臣秀吉に降伏し,会津などの領地を没収されます。関ヶ原の戦いでは、徳川方として戦い、その功として仙台藩62万石の礎を築き、仙台城下を開きました。1613年には慶長遣欧使節をローマに派遣するなど、精力的に活動しながら70歳で亡くなりました。

4.伊達 政宗の掛け軸作品の代表作一覧

道之記(1621年)
酔余口号(1621年)

5.伊達 政宗の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

買取査定の場合、本物であることが重要視されますが、伊達政宗の掛け軸は書状であることが多いでしょう。書状に関しては、偽物が出回ることは少ないと言われています。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 伊達政宗本人の筆跡であるか(証明書や鑑定書などがあると判断しやすい)
  • 花押はあるか
  • 保存状態は良好か(破れ、シミなど)
  • 付属品は残っているか

6.伊達 政宗の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

価格は状態や、サイズなどによって大きく変わってきます。例えば、肉筆保証が付いている伊達政宗の「自筆書状・勝願寺宛 羽柴筑前守」と書かれている書状の掛け軸は約22万円の値が付きました。こちらは、紫檀の軸が使われ、裂三段表装風帯付き、桐箱入りの状態です。寸法は、35㎝×53㎝で、紙には経年変化の跡はありますが、大きな破れや汚れはないものとなっています。一方、戦国時代に書かれたとされる「伊達政宗 感状」の掛け軸は、肉筆とされていますが、鑑定書や保証はないものです。寸法は、108cm x 36cmで、こちらも経年の傷みが見られますが、大きな破損はありません。約10万円で落札されています。

7.伊達 政宗の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

戦国武将として有名な伊達政宗ですが、仙台城を築城した際には、建築、絵画、工芸の専門家を招くなど、華やかな桃山文化を当時の東北にもたらした文化人としても力を尽くしました。彼自身が有名なため、現存する作品は比較的発見されやすく、藩祖の書としてその家臣の家々などに眠っている場合もあります。書状は偽物が出回ることは少なく、もし見つかれば高額となる可能性も高いでしょう。

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