原 三渓(はら さんけい)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.原 三渓の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

原三渓は、明治から昭和初期にかけて活躍した岐阜県出身の実業家であり美術品収集家です。名は 富太郎、号は三溪と称しました。横浜に「三渓園」を作り、収集した美術品を展示しました。原三渓の作品は希少性があるため真作は高値が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「原 三渓」についての概要

原三渓は、美術品の収集や茶人としても知られており、そのコレクションは5000点を超えるといわれています。同時代の画家だった横山大観、下村観山らの作品を購入したり、生活費を支給していて芸術家を援助しました。集めた作品は没後に、各地の美術館や個人に分散しましたが2019年に開催された横浜美術館開館30周年記念で原三溪の収集作品が展示されました。

3.掛け軸作家「原 三渓」の生い立ちや歴史

原三渓は1868年(慶応4年)岐阜市柳津町佐波で青木久衛の長男として生まれました。儒学者の草場船山や野村藤陰に師事し、その後上京し、東京専門学校(現在の早稲田大学)で政治学、経済学を学び跡見女学校の教師を務めました。跡見女学校の教え子だった原屋寿(はらやす)と結婚し、横浜の豪商だった原家に入ります。三渓は家業を発展させ、絹の貿易により富を築きます。その後、帝国蚕糸の社長や横浜興信銀行(現在の横浜銀行)の頭取を歴任し、1923年(大正12年)の関東大震災後では私財を投じて復興に尽くしました。

4.原 三渓の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

掛け軸の買取は、鑑定が難しいため知識や情報がないと損をしてしまう可能性があります。原三渓の作品も例外ではありません。原三渓の作品であると証明できることや、傷やしみがない状態であればプラス査定が期待できるでしょう。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 原三渓本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 素材の質、種類
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)

5.原 三渓の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

原三渓の掛け軸は、ネットオークションでの取引数が少ないため、原三渓の真作であれば高値の取引が期待できる可能性があります。取引相場価格は、サインや落款が確認できるか、また保存状態は良好かによって大きく査定価格が変動します。もし原三渓作品をお持ちでしたら是非お問い合わせください。

6.原 三渓の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

原三渓は絹の貿易により家業を発展させ、美術品の収集家として知られた人物でした。旧邸の三渓園は、公益財団法人三溪園保勝会により保存され一般公開されています。原三渓の作品を所有されている方は真贋確認も兼ねて是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。