橋本 凝胤(はしもと ぎょういん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ
1.橋本 凝胤の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ
橋本凝胤は昭和期に世間の注目を浴びた仏僧です。昭和の日本で天動説を提唱して話題を集め、その破天荒な人物像から「20世紀最後の怪僧」とあだ名されました。一方で僧侶としての評価はとても高く、彼が遺した掛け軸は品格ある逸品として市場でたびたび取引されています。
このページの目次
2.掛け軸作家「橋本 凝胤」についての概要
「天動説でちっとも困らん」の言葉とともに天動説を唱えた昭和の怪僧、橋本凝胤。弟子の安田暎胤はこの言動について、常識を違う角度から見つめる大切さを説いていたんじゃないか、と語ります。また原始仏教には天動説を採用している教えもあり、橋本凝胤はこれをまもったとの意見もあります。いずれにせよ彼の型破りな言動は、自身がいだく仏教観に沿ったものでした。法相宗大僧正にまで登り詰めた怪僧ならぬ名僧は、仏の教えにとても真摯な人物だったのかもしれません。
3.掛け軸作家「橋本 凝胤」の生い立ちや歴史
橋本凝胤は1897年に奈良県で生まれ、7歳になると早々に法隆寺へ出家しました。1923年に上京、2年後東京大学印度哲学部を卒業すると、1939年には薬師寺管主に就任。43年には法相宗管長と仏僧として順調にキャリアを積みます。世間で怪僧と呼ばれ注目を集めるかたわらでは、仏教の実践普及に尽力し、平城京趾の保存活動にも従事しました。1967年には管長を辞して藥師寺長老となり、1978年に遷化。享年80歳でした。
4.橋本 凝胤の掛け軸作品の代表作一覧
橋本凝胤本人の掛け軸か否かが第一のポイントです。作品への署名はもちろん、共箱や鑑定書などの付属品も大きな手掛かりですので、可能ならばそろえて査定に出すべきでしょう。作品の大きさや軸先の素材も査定額に響いてくる要素です。
代表的な掛け軸作品の査定ポイント- 保存状態の良し悪し(表装に傷・汚れ・カケ、本紙にシワ・色剥げ・反り・日焼け、など)
- 付属品、とくに共箱の有無やその造り(桐箱や二重箱は査定額が上がる場合あり)
- 優良な素材で作成されているか(たとえば軸先が象牙かプラスチックかで査定額は変動する)
- 署名の有無(作品自体にない場合も、付属品にサインされている可能性あり)
- 本人が書いた真作か他人の模写作品か(証明書か鑑定書があればスムーズに判断可能)
5.橋本 凝胤の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内
橋本凝胤の掛け軸はネットオークションならば数千~数万円が相場です。たとえば表具122.7cm×82.3cm、本紙78.3cm×32.8cmで「経年に微細な汚れはございますが傷無く、総じて美しい状態を保っております」と説明する『清風入我室』は箱もそろった状態で30,000円で落札された実績があります。『六時名号』(表具189cm×54cm、本紙129cm×42cm)は「合箱、絹本、肉筆、本紙シミが有ります。」とするもので51,000円の値段がつきました。どちらの作品も真贋については明記されていませんでした。もし真作と断言できる作品だったならば、査定額は上昇していたかもしれません。
6.橋本 凝胤の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格
橋本凝胤の掛け軸は真贋不確かにもかかわらず数万円で取引された実績が複数確認されています。模写品でも相応の査定が期待される上、真作ならばもちろん値上がりもみこめます。どちらにせよ彼の掛け軸をお持ちならば、一度査定に出してその価値を確認してみてはいかがでしょうか。
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