平賀 元義(ひらが もとよし)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.平賀 元義の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

平賀元義は幕末期に備前、備中、美作を中心に活動した国学者・歌人・書家です。上代への憧れをもち、新古今調の和歌が全盛だった幕末に、ひとり人間性を率直に表現した万葉長の歌を詠みました。独特の筆跡により能書家としても評価されており、元義の書を求める愛好家は絶えません。買取価格に期待が持てる人物です。

このページの目次

2.平賀 元義の掛け軸作品についての概要

平賀元義(1800年~1865年)の事績は長く埋もれていましたが、正岡子規の紹介により明治になって一躍世に知られることになった歌人です。子規は「万葉以後一千年の久しき間に万葉の真価を認めて万葉を模倣し、万葉調の歌を世に残したる者、実に備前の歌人平賀元義一人のみ」と元義を激賞しました。純粋で自由奔放な気性から生活は困窮を窮め、奇行が多かったと伝えられていますが、敬神尊皇の志に理想を求め、国学者として神社古資料等の探訪の生涯を送りました。郷土の神典・古学などに研鑽を重ね、多くの著作を残しています。

3.平賀 元義の掛け軸作品の歴史や情報

平賀元義は寛政12(1800)年、下道郡陶村(現・倉敷市玉島陶)に岡山藩士・平尾新兵衛長春の子として生まれ、岡山城下富田町で育ちました。本姓は平尾、幼名は猪之介、のち七蔵、通称は喜左衛門、名は直元、長元、義元、別号に吉備雄、楯舎、源猫彦などがあります。早くに家督を弟に譲り、国学研究に没頭。天保3年に脱藩して平賀左衛門太郎源元義と称し、郷土の古学を研究に努めました。備前・備中・美作を放浪し、奇行の逸話も多く伝わっています。安政4年美作飯岡村に楯之舎塾を開き、国学の傍ら万葉調の和歌を門人に指導しました。慶応元年没、66歳でした。

4.平賀 元義の掛け軸作品の代表作一覧

  • 歌書「毛能乃婦能~」
  • 歌書「妹峨家能~」

5.平賀 元義の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定にあたっては作品の真贋が最も重要なポイントになります。贋作も多く出回る作家ですので、専門家の眼が必要となってくるでしょう。また、仕立てや保存状態なども評価に関わってきます。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 平賀元義の確かな落款や印であるか
  • 保存状態は良好か
  • どのような内容か
  • どのような仕立てか
  • 付属品の欠けはないか

6.平賀 元義の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

平賀元義の作品はネットオークションで24,000円の値で落札された例がございました。紙本墨書の掛け軸作品で、和歌二行書、サイズは掛け軸全体が132.9cm×39.2cm、状態は「経年によるシミ、ヤケ、傷み等ございます。特に表装へ傷みがございます」と説明されていました。

7.平賀 元義の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

平賀元義は大隈言道、橘曙覧とともに「幕末の三大歌人」と評される人物です。正岡子規以降、斎藤茂吉や吉田勇など、のちの多くの歌人に影響を与えました。もし平賀元義の作品をお持ちでしたら、ぜひお声がけくださいますようお願いいたします。