広瀬 旭荘(ひろせ きょくそう/ひろせ ぎょくそう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.広瀬 旭荘の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

広瀬旭荘は江戸時代後期に活躍した儒学者・漢詩人です。その詩風は自由闊達で詩情にあふれ、特に長編大作を得意としました。清の兪曲園に「東国詩人の冠」と称えられた人物です。買取価格に期待ができるでしょう。

このページの目次

2.広瀬 旭荘の掛け軸作品についての概要

広瀬旭荘(1807年~1863年)は高名な儒学者・広瀬淡窓の末弟としても知られています。淡窓の跡を継いで家塾「咸宜園」を監督しました。詩文の指導には規範を強いず、個性を尊重したと伝わります。記憶力が抜群に良く、師・亀井昭陽に「活字典」と称されました。また各地を遊歴し、桂小五郎や吉田松陰ら勤王の志士と交友を持ち、『識小編』を著わして海防を論じました。著作に『梅墩詩鈔』『追思録』などがあります。

3.広瀬 旭荘の掛け軸作品の歴史や情報

広瀬旭荘は文化4(1807)年、豊後国日田郡豆田町(現・大分県日田市)の博多屋広瀬三郎右衛門(桃秋)の八男として生まれました。通称謙吉、名は謙、字を吉甫、号は初め秋村、後に旭荘、梅墩としました。勉学を志し、25歳年上の兄・広瀬淡窓の養子となります。淡窓の薫陶を受けたのち亀井昭陽の門に入り、また菅茶山にも学びました。天保2年淡窓に代り家塾「咸宜園」を運営したのち各地を歴遊。江戸や大坂でも塾を設け、当代の名士と詩文の交友を結びました。江戸で林述斎に学び、天保9(1838)年から大阪に定住しています。文久3(1863)年没、57歳でした。

  • 詠史七絶
  • 梅溪七絶
  • 詠柳詩五律

5.広瀬 旭荘の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

作品の査定にあたって重要なポイントは真作であるかどうかです。署名や落款印などのほかに、箱書や書付など真作を保証するものがあると査定価格は高くなります。また、サイズや仕立て、保存状態などによっても大きく評価が変わります。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • どのような仕立てか
  • 広瀬旭荘の落款や印があるか
  • どのような内容が書かれているか
  • 保存状態は良好か
  • 付属品の欠けはないか
  • 箱書や書付などがないか

6.広瀬 旭荘の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

広瀬旭荘の作品はネットオークションで23,222円の値で落札された例がございました。五言絶句の紙本二行書の掛け軸作品で、サイズは掛け軸全体が193cm×39.8cm、本紙が109cm×28cm、状態は「表具は概ね良好、本紙にオレシミ小」と記されていました。

7.広瀬 旭荘の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

広瀬旭荘は才気に溢れた詩を多く残し、その詩は斉藤松堂に「構想は泉が湧き、潮が打ち上げる様、字句は、球が坂をころげ、馬が駆け降りる様。雲が踊り、風が木の葉を舞上げる様だ」と評されました。広瀬旭荘の作品は市場でも多く取り扱われています。作品をお持ちでしたら、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。