今川 氏真(いまがわ うじざね)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.今川 氏真の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

今川氏真は戦国時代の武将であり、江戸時代以降は文化人として生きた人物です。和歌・連歌・蹴鞠などの技芸に通じ、特に蹴鞠は名人の域に達していたとされました。長らく暗愚な君主の代表として語られてきましたが、今日その人物像に再顕彰の動きも起こっています。

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2.今川 氏真の掛け軸作品についての概要

今川氏真は今川家を滅亡に導いたという世の評価とは別に、個人としては魅力ある人物だったようです。下剋上の戦国期において安部元真・岡部正綱・岡部元信・朝比奈泰朝・由比正純など多くの家臣らが、苦境のなか最後まで主君・氏真に付き従ったことが分かっています。現存する氏真の書状には、元家臣達の再就職を請う推薦状が何十と見つかり、氏真も忠義に応え家臣のために苦心奔走したようでした。また妻・早川殿(北条氏康の娘)と終生仲睦まじかったこともよく知られています。子や孫への教育を怠らず、今川家は江戸幕府において朝廷や公家との交渉役を受け継ぐ名家となりました。

3.今川 氏真の掛け軸作品の歴史や情報

今川氏真は天文7(1538)年、今川義元の子として生まれました。母は武田信虎の娘。桶狭間の戦いで父・義元の討死により今川家11代当主として家督を相続。しかし桶狭間の敗戦の打撃は大きく、その後領国駿河・遠江・三河を奪われ、相続後わずか7年足らずで今川氏は滅亡するに至りました。浜松の徳川家康のもとに身を寄せたのち上洛。薙髪して仙巌斎(仙岩斎)号し、京都の公家など文化人と交わり、歌会・蹴鞠などに日々を過ごしたとあります。慶長17年郷里の駿府で徳川家康と面会、品川に屋敷を与えられ、江戸に移住しました。慶長19年没、77歳でした。

4.今川 氏真の掛け軸作品の代表作一覧

  • 今川氏真像
  • 武家文書 今川氏真書状 永禄十二年三月三日
  • 浅間大宮司富士家文書

5.今川 氏真の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定の重要ポイントはその真贋ですが、その見極めには慎重を要します。花押のほか、筆跡確認も必要となります。由来や書付など付随するものがあればよりよいでしょう。また書状であれば、その内容も重要です。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 今川氏真の署名や花押があるか
  • 今川氏真の筆跡であるか
  • 保存状態は良好か
  • 付属品の欠けはないか
  • 由来はあるか
  • 書状か和歌か

6.今川 氏真の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

掛け軸作品ではございませんが、ネットオークションに今川氏真の書状が251,000円の値で落札された事例がございました。永禄6年朝比奈右兵衛大夫宛の書状で、サイズは縦17cm×横24.6cm、状態は「本紙・包みともにやや厚めの裏打ち、過去の保存時のクリップ跡と思われる汚れあり」と説明されていました。

7.今川 氏真の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

今川家は結果的に徳川幕府の下で名家に列するに至りました。今川氏真はその起源を生んだ人物でもあり、最近では氏真独自の商業政策などの事績も明らかになっています。昨今再評価の傾向が強い人物であるだけに、書状などは特に研究者からの注目を集めると推測されます。もし今川氏真の筆によると思われるものをお持ちでしたら、ぜひご一報くださいませ。