伊東 深水(いとう しんすい)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.伊東 深水を売りたいお客様へ

伊東深水は1898年東京に生まれた日本画家、浮世絵師、版画家です。歌川派浮世絵の伝統を守っており、日本画独特のやわらかな画風が特徴的な画家です。特に美人画を得意としました。浮世絵の伝統を守りつつも、現代の風俗を巧みに取り入れた画風で一世を風靡しました。 戦後は美人画とともに独自の題材を取り入れた日本画を制作。その人気のあまり複製版画が多く作られるほど著名な画家のため、コレクターも多く存在します。

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2.伊東 深水についての解説

伊東深水は、日本画家の他に浮世絵師、版画家の顔を持つ多才な人物でした。日本画家になる決意をしたのは速水御舟の作品に深い感銘を受けたからだとされています。 14歳の頃1911年鏑木清方の元へ入門。この頃「深水」の号を与えられました。文展・帝展に数多くの作品が入選し、特に第8回帝展の「羽子の音」、第10回帝展の「秋晴れ」が特選を得て画家としての地位を確立しました。 特に美人画の評価が高く、一時期は美人画以外の題材を書きたくとも依頼がこなかったと言われる程です。歌川派の浮世絵の伝統を受けつぎながらも、現代の風俗を取り入れた画風は現代も人々を魅了しています。

3.伊東 深水の歴史

伊東深水は1898年東京府東京市深川区(現東京都江東区)に生まれました。実の娘は女優でタレントの朝丘雪路。 1907年に小学校を中退し住み込みで働きながら、1908年日本画家の中山秋湖の元で日本画を習いました。その後1911年、14歳で鏑木清方の元へ入門。翌年の1912年には第12回巽画会展に入選。若くして才能を発揮し始めました。 その後も様々な展示会に入選しつつ1927年大井町にて深水画塾を設立。戦時中は報道班員として南方諸島へ派遣され、4,000枚ものスケッチを残しました。 戦後の1950年に日月社を結成、以後は後進の育成に尽力しました。1972年癌により死去。享年74歳。

4.伊東 深水の代表作

  • 「指」1911年作
  • 「遊女」1916年作
  • 「闇香」1950年作
  • 「吉野太夫」1966年作

5.伊東 深水買取査定ポイント

伊東深水はその人気から複製画も多く作られているため、真作であるかどうかが一番のポイントとなります。証明書や鑑定書があるか、出所(伊東深水本人に描いてもらった、親類の家など)がはっきりしているかも査定のポイントとなるでしょう。 また保存状態は良好か、箱などがついているかなどの骨董品の査定ポイントもあてはまります。

  • 伊東深水の真作か(証明書や鑑定書はあるか)
  • 保存状態は良好か
  • 大きさはどれくらいか

6.伊東 深水の取引相場価格

真贋鑑定のなされていないものは約1~2万円前後です。伊東深水の美人画は人気のため、複製や印刷でも1万円程度となります。 真作ですと美人画で約20万円、鑑定証のついた短歌の掛け軸(箱付き)が約9万円の値がついたことがあります。やはり人気の美人画や鑑定書付きのものが高値がつく傾向にあります。

7.伊東 深水の買取についてのまとめ

浮世絵の伝統を受け継いだやわらかな画風の美人画で一世を風靡した伊東深水。大正期には多くの挿絵や口絵なども作成し、庶民に親しまれていました。その人気のあまり、第二次世界大戦後は数多くの作品の複製版画が作られた程です。 特に美人画が人気が高く、複製や印刷であっても持っておきたいという方が多くいらっしゃいます。真作の掛け軸になれば、数十万円の値がつくことも珍しくありません。