狩野 岑信(かのう みねのぶ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ
1.狩野 岑信の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ
狩野岑信は江戸時代前期〜中期の日本画家です。江戸幕府御用達の絵師「奥絵師」として仕えた人物で、中でも狩野岑信は徳川家宣の寵遇を受け、当時絵師としては珍しい奥医師並の職格と待遇を受けました。このことから、狩野岑信は仕えた家宣の御用を数多く務めたであろうと推測されますが、現在狩野岑信の作品として確認されているものは20にも満たず、もし真作の作品が見つかれば高値が期待できます。
このページの目次
2.掛け軸作家「狩野 岑信」についての概要
狩野岑信は江戸前期、奥絵師として活躍した狩野派の絵師の1人で、浜町狩野家の祖でもあります。名を吉之助、通称は主税、号は随川、覚柳斎などとしていました。御用絵師であった狩野常信の次男として生まれ、家を継いだ兄は狩野周信。御用絵師としてジャンルを問わず手がけた狩野岑信の作品は掛け軸のみならず、屏風や歌仙画帖、障子、図巻と多岐に渡ります。
3.掛け軸作家「狩野 岑信」の生い立ちや歴史
狩野岑信は1662年、木挽町狩野家2代目である狩野常信の次男として生まれました。元禄元年となる1698年以降、徳川家宣に召し出され、奥絵師として幕府に仕え始めた狩野岑信は、家宣の御眼鏡にかない、宝暦元年となる1704年にはなんと松平姓を賜ります。しかし狩野岑信はこれを憚って辞退。結局、松本友盛と名を改めました。家宣に別家を許され浜町狩野家を興した狩野岑信は、宗家である中橋狩野家を凌ぎ狩野総上席を与えられましたが、1709年、47歳という若さでなくなりました。
4.狩野 岑信の掛け軸作品の代表作一覧
- 六義園の図(1704年頃)
- 女房三十六歌仙画帖(1704〜05年)
- 七福神図巻
- 李白観瀑図
- 四季耕作図屏風
- 琴棋書画図
5.狩野 岑信の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内
宗家の中橋狩野家をも凌ぎ、浜松狩野家を興した狩野岑信。岑信の作品には、狩野派に新風をもたらした狩野探幽に学んだ父親、狩野常信の影響が見られ、淡白ながらも微細で自然の豊かな表情を捉えた作風が魅力です。しかし狩野岑信の作品は現存しているものが多くありません。市場価値だけでなく歴史的価値も高いため、高額査定の可能性があります。真作であることを証明できる落款や名前の有無がポイントとなるでしょう。
代表的な掛け軸作品の査定ポイント- 狩野岑信本人の作品であること(証明書や鑑定書があるとなお良いです)
- 掛け軸であれば本紙や表紙の素材は何でできているか
- 保存状態が良好で、オレやシミなどが多くないか
- 付属品は揃っているか(共箱・共布・栞などが残っているか)
- 作者の署名・落款(らっかん)があるか
6.狩野 岑信の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格
国内のネットオークションで、狩野岑信の花鳥・人物を描いた絹本の三幅対掛け軸が17,500円で落札されました。この作品は本紙が縦104.5cm横41.5cm、軸外枠は縦182cm横57.5cmで、作品には日焼け、しみ、折れ、破け、それに表具上部には虫食いがあり、かつ軸先片側に1点外れがあるとの条件で出品されたものでした。また、こちらも同じく国内のネットオークションにて、狩野岑信と狩野周信による新六歌仙の色紙和歌画帖(五行・五色・方角色紙和歌画帖)の2帖(全28集)が200,000円で落札されました。この作品は画帖が幅縦29cm、横24cm、画寸が幅縦17.8cm、横20.6cmで、経年によるしみや虫食いなどはあるものの、大きな痛みは見られないという条件で出品されたものでした。 狩野岑信の作品は人気が高いため、こうした劣化があっても高価買取の実績があります。
7.狩野 岑信の掛け軸作品の買取についての情報まとめ
将軍徳川家宣の寵遇を受け、浜町狩野家を興した狩野岑信。47歳という若さで亡くなった狩野岑信の作品は現存しているものが少なく、その数は20にも満たないと言われています。もしお持ちの作品が狩野岑信のものだと証明できる場合、高額査定が期待できますので、もし狩野岑信の作品をお持ちであれば、ぜひ一度査定に出されてみることをお勧めいたします。
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