烏丸 光広(からすまる みつひろ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.烏丸 光広の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

江戸時代前期に活躍した烏丸光広は、歌道の復興を願い制作に力を注いでいました。40代半ばまでは持明院流、光悦流と流派に随順した作品が主でしたが、40代後半から50代にかけては光悦流を踏まえながらも、独自の制作方法を編み出していきました。個性ある光広流の新書風の書作品と同時に、鳥や人物、山水、達磨といった書画も遺した人物が烏丸光広です。

このページの目次

2.掛け軸作家「烏丸 光広」についての概要

烏丸光広は公卿でありながら、能書家であり、歌人でもありました。1579年、准大臣である烏丸光宣の長男として生まれ、3歳で従五位下に叙され、官職では正二位権大納言として勤めました。細川幽斎より古今伝授を受け継ぎ、流派「二条派歌学」を究めて、宮廷の文化人として当時では珍しい安居楽業な性格が和歌や書の作品にも表れています。光広は寛永の三筆と称される本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗の3人とならび、唯一無二の存在として光広流の和歌や書作品が広く知られることとなりました。

3.掛け軸作家「烏丸 光広」の生い立ちや歴史

1581年に烏丸光宣の長男として生まれたことも関係し、わずか3歳で従五位下に称えられました。朝廷の最高機関や令外官の役職を経て、1606年には太政官の最高幹部である公卿に列しています。1608年には左大弁に遷任しましたが、公家の乱脈が白日の下にさらされた猪熊事件が勃発、1609年には蟄居を命じられてしまいます。そんな中、1600年には細川幽斎から古今和歌集に関する知識を受け、役職の傍ら芸術創作にも励むと、才能を開花させ多岐にわたって活躍、文化人として名を残すことになります。

4.烏丸 光広の掛け軸作品の代表作一覧

聚楽第行幸和歌巻(1586年)
詠草(1634年)
和歌懐紙(1636年)

5.烏丸 光広の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

まずは烏丸 光広の作品がレプリカではなく、本物であるかどうかが買取の決め手となります。掛け軸が入っていた気箱、鑑定書があればより本人の作品であることが認められることとなり、価値は上がります。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 烏丸光広の作品であるかどうか(証明書・鑑定書があれば真贋判定がしやすくなり査定時に有利になります)
  • 作者本人を示す印はあるか
  • 保存状態の良し悪し(シミの有無、破れは無いかどうか等)
  • 紙の素材も決め手となる
  • 文庫に旧蔵した作品であるかどうか

6.烏丸 光広の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

烏丸光広の作品は市場では数が少なく、ある程度の保存状態が保たれていれば価値がつきやすい傾向があります。古筆了仲極札があれば真作とみなされやすく、高価買取の可能性もあります。例えば『高山待月山中滝水』の掛け軸であれば7万円の値がついています。総丈サイズは横60cm×縦119cmと、烏丸光広の掛け軸の多くはこのサイズの作品が一般的です。烏丸光広が描いた山水は人気が高いことから、高く売れるでしょう。 『梅花久盛和歌懐紙』の掛け軸は、総丈サイズ縦121cm×横59.5cmです。伊勢小津桂窓西荘文庫に旧蔵する作品であることから、18万円もの価値がついています。西荘文庫は江戸時代後期の商人である小津久足が収集したものを書籍として発売していました。梅花久盛和歌懐紙のように、書籍に掲載された作品の真作が見つかった場合、高額で売れる可能性があります。

7.烏丸 光広の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

烏丸光広は本阿弥光悦や俵屋宗達といった江戸の文化人との交流が深かったため、こういった他の文化人を伝いコレクションする人もいます。江戸時代初期の歌人、公卿としても有名な烏丸光広の掛け軸はネット上でも真作が手に入りにくく、真作であれば買取査定時に高価になる可能性が高いです。

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