勝間田 稔(かつまた みのる)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.勝間田 稔の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

勝間田稔は幕末の長州藩士です。幼名は百太郎、号は蝶夢、鉄琴と称しました。明治期には内務省官僚の要職に就き、そのあとは複数の県で知事を歴任し、1901年(明治34年)には宮内省図書頭に就任すると1906年(明治39年)に亡くなるまで在任しました。勝間田稔の掛け軸はネットオークションでも確認できますが、本物保証の作品が少ないため、真作であれば高値が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「勝間田 稔」についての概要

勝間田 稔は、1890年(明治23年)に 従四位、1895年(明治28年)に 正四位、1906年(明治39年)には 従三位となります。勲章は1889年(明治22年)の6月に勲六等瑞宝章、11月に大日本帝国憲法発布記念章を授章しています。著作は1893年(明治26年)に『雲来起予吟草』、『消夏遊草』、『燧灘漁唱』を刊行しています。

3.掛け軸作家「勝間田 稔」の生い立ちや歴史

勝間田稔は、1843年(天保13年)に長門国阿武郡萩(現在の山口県萩市)で長州藩士の勝間田盛稔(もりとし)の息子として生まれました。藩校の明倫館で学び、戊辰戦争では倒幕軍として従軍します。新発田本営軍監・若松在勤、越後府判事試補、越後府軍監などを務めます。1871年(明治4年)、山口県で十二等出仕、大属(戸籍係)、中属、九等出仕などを歴任し、1874年(明治7年)に退職します。1879年(明治12年)に内務省の内務権少書記官・取調局事務取扱に就任し、以後は要職を歴任します。1885年(明治18年)に愛知県県令に登用され、1886年に法改正に伴い知事となります。その後も愛媛県、宮城県、新潟県の知事を歴任しました。

4.勝間田 稔の掛け軸作品の代表作一覧

  • 雲来起予吟草(1893年)
  • 消夏遊草(1893年)
  • 燧灘漁唱(1893年)

5.勝間田 稔の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

掛け軸の買取は、鑑定が難しいため知識や情報がないと損をしてしまう可能性があります。勝間田稔の作品も例外ではありません。勝間田稔の作品であると証明できることや、傷やしみがない状態であればプラス査定が期待できるでしょう。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 勝間田稔本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 素材の質、種類
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)

6.勝間田 稔の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

勝間田稔の掛け軸作品はネットオークションで、真贋不確かなものでも数千円程から取引されています。模写作品でも例えば『愛知県知事 勝間田稔書』という作品では全体寸縦約180.7cm×横(軸先含まず)約63cm、「絹本肉筆」とするものが、5,000円で落札されています。

7.勝間田 稔の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

勝間田稔は幕末に活躍した長州藩士で、維新後は内務省の要職や、各地の県知事として従事しました。晩年は没するまで宮内省図書頭を務めています。勝間田稔の掛け軸は真作を保証する作品がネットオークションで少ないため、勝間田稔本人の作品であれば高値が期待できるでしょう。作品を所有されている方は是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。