吉川 英治(よしかわ えいじ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.吉川 霊華の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

吉川英治は小学校を中退後、さまざまな職業を経験しながら文学作品の創作に取り組みました。『宮本武蔵』ほか大衆小説の作者としてよく知られ、著作のうち映画や大河ドラマになった作品もあります。人間味にあふれる登場人物の姿がいきいきと描写された小説の数々は今も多くの読者から支持されています。さらに「我以外皆我師」や「朝の来ない夜はない」など名言を残したことでも知られており、揮毫を頼まれることも多かったそうです。見る人を勇気づける気持ちのこもった言葉が書かれたものは特に人気があります。直筆の掛け軸であれば高額査定が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「吉川 霊華」についての概要

吉川英治は戦前から戦後にかけて活躍した小説家です。歴史文学の分野では大変な人気作家で、生涯を通じて長編と短編合わせて約240の作品を手がけました。苦しく困難な青少年時代を経て、30歳を過ぎてから作家としての道を歩み始めました。数々の小説は庶民の気持ちに寄り添って作られたものですが、しばしば取り組んだという書にもその姿勢が表れています。素朴で大らかな雰囲気の書は、人の心に優しく語りかけてくるような魅力があります。色紙や短冊にしたためた作品が多く存在します。

3.掛け軸作家「吉川 霊華」の生い立ちや歴史

1892年に神奈川県久良岐郡(現在の横浜市中区)に生まれました。本名は吉川英次。10歳の頃から雑誌に投稿をしはじめ、時事新報社『少年』に作文が入選しました。幼い頃より文才に恵まれていたものの、家庭の事情により山内尋常高等小学校を中退、その後様々な仕事に就きながら川柳や小説を創作し、1912年には井上剣花坊の川柳会に入会、1914年から1921年までに小説3編が講談社の懸賞小説に入選します。やがて新聞小説『親鸞記』の連載を任せられるようになり、『鳴門秘帖』などで人気作家に。1935年以降、新聞の連載小説『宮本武蔵』によって幅広い層からの人気を博します。戦後になると『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆しました。1960年には文化勲章を受章しますが2年後には肺癌のため70歳で亡くなり、『新・水滸伝』が絶筆となりました。

4.吉川 霊華の掛け軸作品の代表作一覧

鳴門秘帖(1927年〜1933年)
親鸞(1935年)
宮本武蔵(1936年〜 1939年)
三国志(1940年〜1946年)
私本太平記(1959年〜1962年)

5.吉川 霊華の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

まず最も重要な査定ポイントは真作であることです。証明書や鑑定書つきのほうが高額となる可能性があり、また作品の由来や過去の所有者などがわかっていることも査定のポイントです。保存状態は良好か、箱などの付属品があるかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。掛け軸の代表的な掛け軸作品の査定ポイントは以下のとおりです。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 吉川 英治の真作か(証明書、鑑定書はあるか)
  • 作品の状態(画面に汚れ、シミや破れなどがないか)
  • 作品に落款印や署名がある
  • 作品のサイズ
  • 付属の箱に署名があるか

6.吉川 霊華の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

直筆の掛け軸の価格は数万円で取引されているものもありますが、状態の良いものだとさらに取引価格が高まります。過去にオークションでは真筆の掛け軸に15,000円の値がついたことがあります。こちらはシミがあり作品にダメージのあるものでしたが、サイズ41 cm×26 cm程度、弟で画家の吉川素亮による箱書きのあるものでした。また、真筆とされる状態の良い掛け軸に25万円の値がついたことがあります。こちらは一行書で大きさは124,5cm×23,5cm、吉川素亮による箱書きがついていました。また「我以外皆我師」や「朝の来ない夜はない」など有名な格言が書かれた色紙は印刷品も作られるほどの人気です。

7.吉川 霊華の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

吉川英治の手がけた歴史小説は時代を超え、現在も広く受け入れられています。また吉川英治は苦難に満ちた人生とその創作の中で、数々の格言を残しました「我以外皆我師」「生涯一書生」という言葉も吉川の残した言葉で、その言葉は多くの人を励まし続けています。書についてはまずは自分が楽しむ気持ちを大切にして書いたと言われています。気負わずに書かれた大らかな筆跡は、本人の謙虚な人柄とともに人気を博しています。本人の作でかつ保存状態の良いものは高額査定になる可能性があります。

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