桐野 利秋(きりの としあき)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.桐野 利秋の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

桐野利秋は、幕末の四大人斬りの一人と称された薩摩藩士です。はじめ中村半次郎と名乗り、後に桐野に復姓しました。逸話に事欠かず、その人生は小説や舞台などで数多く作品化されています。大変著名な人物の為、真作であれば歴史的価値が認められる可能性があり、高値が期待できるでしょう。

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2.掛け軸作家「桐野 利秋」についての概要

桐野利秋は貧窮の家で育ち、系統的な学問や剣術も独学で修めたといわれています。1867年(慶応3年)に在京中の暮らしを綴った『京在日記』を残しており、達筆ではないが勇武な気性がよく表れていると評されています。他に複数の自筆書簡が現存しており、「鴨溟(瞑)」という雅号が記されています。

3.掛け軸作家「桐野 利秋」の生い立ちや歴史

桐野利秋は1839年(天保9年)、薩摩国鹿児島郡(現在の鹿児島県辺り)で城下士の中村与右の第三子として生まれました。1862年(文久2年)島津久光に従って入京し、尹宮(朝彦親王)附きの守衛の任に就きます。やがて、諸国の志士達と交友を重ね、藩の重臣だった西郷隆盛から重用されるようになります。1868年(明治元年)の戊辰戦争では東海道先峰、会津若松攻めでは軍監を務め、維新後は新政府の御親兵大隊長、陸軍少将を歴任しました。1873年(明治6年)「明治六年政変」により西郷隆盛とともに新政府を離れ、1874年(明治7年)には鹿児島に私学校を設立します。1877年(明治10年)西南戦争で西郷軍四番大隊長となり、同年に鹿児島城山で戦死しました。

4.桐野 利秋の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定にあたっては桐野利秋の確かな落款や印があることが重要です。真作を証明できる鑑定書や書付があるとなお良いでしょう。保存状態やサイズ、仕立てによっても大きく査定金額が変動いたしますのでご留意ください。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 桐野利秋本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 素材の質、種類
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)

5.桐野 利秋の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

桐野利秋の掛け軸作品はネットオークションで、真贋不確かなものでも数千円程度~数万円で取引されています。模写作品でも例えば『桐野利秋 三行書』という作品では、表具寸縦約173cm×横約39.5cm、本紙寸縦約110.5cm×横約30cm、「紙本肉筆」、作品状態は「ヤケ 小シミ オレ 小欠損あり」とするものが、42,000円で落札されています。

7.桐野 利秋の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

桐野利秋は幕末の志士の中でも著名な人物で、ネットオークションでも所縁の作品を確認できます。桐野利秋の掛け軸を所有されている方は、真贋確認も兼ねて是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。