小松 均(こまつ ひとし)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1. 小松 均を売りたいお客様へ

小松 均は1902年に山形県で生まれた日本画家です。京都市の大原市の自然を描いた作品を多く残したことから「大原の画仙」とも称された画家です。そのほか大自然を多く描いた富士山シリーズや、故郷の最上川を題材とした最上川シリーズなどが有名です。水墨画と日本画を掛け合わせた全く新しい絵画のジャンルを作りだした画家として高く評価されています。その功績から1986年に文化功労者となりました。掛け軸も多く残しており、現代でも人気のある画家です。

このページの目次

2. 小松 均についての解説

小松 均は幼い頃より絵に興味を持ち、京都で土田麦僊に師事。日本画の技術を学んだ土田麦僊は1924年に中央美術展で初入選を果たしたことから、本格的な画家としての生活をスタートさせました。特に風景画を得意とし、生涯において最上川シリーズ、富士山シリーズ、大原シリーズなど数々の作品を残しました。その繊細さと構図の素晴らしさは日本美術会で高く評価されています。その功績から1986年に文化功労賞を受賞しました。また1990年京都市に小松 均美術館が開館しました。

3. 小松 均の歴史

小松 均は1902年山形県北村山郡大石田町に生まれました。父親は住職でしたが、生後1年ほどで他界。その後は母方の祖父の家で16歳まで暮らしました。1919年に上京し神奈川県川崎市の洋服屋で勤めますが、ほどなくして帰郷し下駄屋の丁稚となりました。1920年に画家を志し、川端画学校に入学。1923年に中央美術展で初入選し、1924年には国画創作協会展に入選しました。そのことで日本画家の土田麦僊に見初められ、弟子入りしました。そして京都の東山に転居し、土田麦僊の画塾に入塾。1928年に愛宕郡大原村(現・京都市左京区大原)に転居し、国画創作協会の会友となりましたが、解散とともに新樹社に参加しました。1946年の第31回院展にて日本美術院賞を、1979年の第64回院展で内閣総理大臣賞を受賞。1980年に故郷の大石田町、1981年に16歳まで過ごした村山市の名誉市民となりました。1986年に文化功労賞を受賞。1989年に自宅にて死去。

4. 小松 均の代表作や作者

「牡丹」    1946年 「雪の最上川」 1979年 「白富士図」  1982年

5. 小松 均の買取査定ポイント

まずは小松 均の真作であるかどうかが重要なポイントとなります。真作かどうかは落款印や署名などで判断することができます。証明書や鑑定書があればさらに高値になる傾向にあります。また保存状態が良いか、箱がついているかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。 掛け軸にはいくつか代表的な査定ポイントがあります。 以下のポイントをチェックしていただくと、自分の持っている掛け軸にどの程度お値段がつくのかの指標になります。
  • 小松 均本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があれば尚良し)
  • 落款印(引首印)がある
  • 作者の署名がある
  • 保存状態は良好か(シミやシワなどの汚れがない、箱が残っているかなど)
  • 尺はどれくらいか(大きさの確認)
  • 表装の修復がなされていないこと

6. 小松 均の取引相場価格

真贋鑑定がなされていないものですと、数千円~1万円ほどです。真贋保証されているもの(鑑定書無し)で、大きさ210cm×50cm、画寸が136.5cm×33cm、箱付きものが5万円の値がついたことがあります。 また真贋保証がついていない場合でも、人気の山水画ですと202cm×46cm、画寸が128cm×33cmのもので約8万6千円の値がつきました。もし鑑定書がついている肉筆画の真作であればこれよりさらに高値がつくでしょう。

7. 小松 均の買取についてのまとめ

仙境の画人や大原の画仙と呼ばれるほど多くの傑作を残した小松 均。京都の大原で自給自足の生活をしながら風景画を書き続けました。また故郷の最上川を題材としたシリーズでも有名です。その後世から出生地の大石田町と村山市の名誉市民となりました。素朴ながらも自然の雄大さを感じられる作品は多くのファンを獲得し、没後1年の1990年に小松 均美術館が開館しました。 現代でも人気のある日本画家であり、もし真作の肉筆画であれば高値が付く可能性があります。