町田 曲江(まちだ きょくこう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.町田 曲江の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

町田曲江は明治から大正時代にかけての日本画家です。明治後期から大正にかけてフランスでインド仏教を学んだ町田曲江は、日本画家でありながら洋画の素養も持ち合わせる日本画の大家で、表現力豊かな同氏の作品は文帝展や日本画院等での活躍が特に知られています。戦後は日本画院同人で、信州美術会長、信濃美術会々長なども務めました。

このページの目次

2.掛け軸作家「町田 曲江」についての概要

生まれの長野県では、少年の頃に南画家である児玉果亭の教えを受けた町田曲江。京都では文人画家、内海吉堂を師事し、そののち寺崎広業の門に。油絵の研究グループである白馬会洋画研究所で黒田清輝に油絵を学ぶと、フランスに留学し、考古学者・東洋学者であるアルフレット・フーシェのもとでインドの仏教美術の研究につきそい、帰国の際にはインドに渡航。戦後は日本画院の同人となり、信濃美術会会長や帝展委員などを務めました。

3.掛け軸作家「町田 曲江」の生い立ちや歴史

町田曲江は1879年生まれの日本画家で、本名を春之助と言います。長野県生まれた町田曲江は、少年時代は長野県の南画家、児玉果亭に絵を習い、1896年に京都に行き、内海吉堂の門に下ります。翌年上京、寺崎廣業のもとで日本画を学びながら、同時に油絵を黒田清輝に学び、1910年渡欧。フランスでインドの仏教美術の研究に従事しました。文帝展や日本画院など、数多くの美術展に発表しており、戦後には日本画院同人として活躍。1967年に死去しています。

4.町田 曲江の掛け軸作品の代表作一覧

  • 仏陀の光(1907年)
  • 三大門(1915年)
  • 若き鹿と孔雀(1925年)

5.町田 曲江の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

町田曲江の作品の買取査定には、作品が真作かどうかということが最重要です。日本画家でありながら、西洋の技法と仏教の世界観を折衷させた町田曲江の作品は、人気が高いだけに贋作が出回っている可能性も高く、お持ちの作品が真作であることを証明できれば高額査定も期待できます。そのため、査定には鑑定書の有無がポイントとなります。そのほかにも、保存状態や共箱などの付属品によっても査定額は上下します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 町田曲江の署名や落款(らっかん)があるか
  • 本人の作品であるか(証明書や鑑定書があるとなお良いです)
  • 保存状態が良好で、オレやシミなどが多くないか
  • 付属品は揃っているか(掛け軸であれば共箱・共布・栞などが残っているか)
  • 掛け軸であれば本紙や表紙の素材は何でできているか

6.町田 曲江の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

町田曲江の作品は、真偽不確かなものであれば国内のオークションで数千円から出回っています。真作を謳うものでは、町田曲江の絹本・彩色の掛け軸『寒山拾得』が13,500円で落札されました。この作品は本紙が縦130cm、横50cm、表具は縦212.5cm、横65cmで本紙に落款と印章があり、合わせ箱がついているほか、本紙と軸装はどちらも経年による使用感があるものの、概ね良好とされるものです。また、町田曲江の『美人小女』とする絹本、彩色の掛け軸は46,005円で落札されています。こちらの作品は本紙が縦125cm、横27.5cm、表具が縦208cm、横45cmで、共箱と牙軸といった付属品がついており、状態は少しやけやしみ、折れがあるという条件で出品されました。

7.町田 曲江の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

文帝展や日本画院等での活躍が著しく、勲五等双光旭日章まで授与された町田曲江。その純和風とも西洋風とも言われぬ独特の作風は現在でも多くの支持者がおり、作品は市場需要が高い作家とされています。お持ちの作品が真作であり、作品の状態も好ましいものであれば十分に高額査定が見込めるでしょう。

その他の掛け軸について