益田 克徳(ますだ かつのり)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.益田 克徳の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

益田克徳は、幕末期の幕臣で明治期に官吏、実業家、政治家などで活躍し、民間事業では東京海上保険(現在の東京海上日動火災保険株式会社)を創立しました。幼名は荘作、号は無為庵、非黙と称していました。益田克徳の作品は現存数が少ないため、作品によっては高額査定が見込めるでしょう。

このページの目次

2.掛け軸作家「益田 克徳」についての概要

益田克徳は、維新後の1869年(明治2年)に高松藩に預けられます。慶應義塾に入り福澤諭吉に学び、卒業後は高松藩の教育掛の職に就きます。1871年(明治4年)に司法省に出仕して検事となり、1874年(明治7年)には前島密とともに海上保険例を作成しました。

3.掛け軸作家「益田 克徳」の生い立ちや歴史

益田克徳は1852年(嘉永5年)、代々土着で与力に就いている家系で、徳川に仕える佐渡奉行所役人の益田鷹之助の次男として佐渡で生まれました。1854年(安政元年)に父が箱館奉行所へ異動となり、それに伴って1855年(安政2年)に江戸を出て、1858年(安政5年)に箱館に移りました。1859年(安政6年)、父が外国方支配目付役となり江戸に再び戻りました。克徳は英漢学を修め、海軍修業生となり榎本武揚の榎本軍に属しますが箱館で捕まり、江戸に護送され禁固100日に処されます。維新後は、官職を務める一方で海上保険例の作成に尽力しました。その後は自由民権運動に参加し、1879年(明治12年)に東京海上保険会社の支配人となります。以後は東京米穀取引所、王子製紙、明治生命などの取締役を歴任しました。

4.益田 克徳の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

高額となる条件としては、益田克徳の真作であるといえるかどうかが重要です。その他では、シミ、シワ、折れなどはないか、印や落款があるか、箱の有無は、作品のサイズはどれくらいかといったことによっても査定結果は変動します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)
  • 益田克徳本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 素材の質、種類

5.益田 克徳の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

益田克徳の掛け軸作品はネットオークションで、真贋不確かなものでも数千円程度~数万円で取引されています。模写作品でも『白雲去来』という作品では全体寸縦約145cm×横約24cm、本紙寸縦約72cm×横約18cm、「紙本彩色」、「軸先は象牙」、作品状態は経年の薄い汚れがありとする品物が、32,100円で落札されています。

6.益田 克徳の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

益田克徳は維新後は検事となり海上保険例の作成に貢献しました。民間に下りると東京海上保険会社を創立し、その後複数の企業で取締役を歴任しました。益田克徳の掛け軸作品はネットオークションでは取引数が少ないため、真作であれば高値が期待できるでしょう。作品を所有されている方は是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。