松本 良順(まつもと りょうじゅん)の作品を高価買取!掛け軸作家の査定ポイントを徹底解説!

1.松本 良順の作品を売りたいお客様へ

松本良順(1832年~1907年)は幕末から明治期の医師です。緒方洪庵の跡を継いで西洋医学所頭取を務めたほか、将軍の御典医としても従事しました。維新後は陸軍軍医部の編成に尽力し、初代陸軍軍医総監に就任しています。また公衆衛生の考えを基盤に、民間に牛乳の摂取や海水浴を奨励したことでも知られました。官民に尊敬を集めた人物として、書画軸に需要が見込めます。

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2.松本 良順についての解説

漢方医学が正統であった時代、松本良順は早くに西洋医学を学び、近代医学教育法を導入しました。性格は豪放磊落、進取の気性に富んだそうです。新選組の近藤勇、土方歳三、沖田総司らとも個人的な親交がありました。明治期に良順の「良」の字を外して、松本順と名乗ったのは、反骨心の表われであったともいわれます。

3.松本 良順の歴史

松本良順は天保3(1832)年、佐倉藩藩医で順天堂を営む佐藤泰然の子として江戸麻布(現・東京都港区)に生まれました。後に幕医の松本良甫の養子となります。外務大臣の林董は実弟。幼名は順之助、別名に順、字は子良、号は蘭疇、楽痴があります。安政4年幕命により長崎に留学。蘭医ポンペについて西洋医術を学び、長崎養生所を開設。江戸に帰郷後は西洋医学所頭取に就きました。維新後は早稲田に蘭疇医院を開いて治療とともに多くの門弟を教育し、後進を育てました。のち山県有朋の要請により初代陸軍軍医総監に就任。貴族院議員。男爵。勲一等瑞宝章受章。明治40年没、75歳でした。

4.福田 太華の代表作

  • 松本蘭疇墨竹図并賛(1866年)
  • 5.松本 良順の作品の買取査定ポイント

    高値での買取には間違いなく松本良順の真作であることが条件ですが、書簡や漢詩の内容、作品のサイズ、保存状態、箱の有無により査定額は大きく変動します。

    代表的な査定ポイント
    • 松本良順本人の落款や印があるか
    • どのような内容か
    • 画か書か
    • 保存状態は良好か
    • 付属物は揃っているか(共箱・共布・栞などが残っているか)

    6.松本 良順の作品の取引相場価格

    松本良順の作品は、ネットオークションで50,000円で落札された例がありました。紙本の墨蹟三行書で、サイズは掛軸全体が192cm×75cm、本紙が137cm×48cm、軸先は唐木で、状態は「軸先の一方にひび、巻軸に破れがあります。経年のスレ汚れ、シミ、折シワ等ありますが概ね状態良好です」と説明された作品でした。

    7.松本 良順の作品の買取についてのまとめ

    松本良順は日本における保健教育の創始となる『養生法』を著したほか、書画も多く遺しています。幕末の志士とも交流があり、書簡など内容によっては高価査定になる可能性もあります。松本良順の掛け軸作品をお持ちでしたら、是非一度査定に出されてみることをお勧めいたします。