松浦 詮(まつら あきら)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.松浦 詮の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

松浦詮は、1840年(天保11年)に肥前国平戸藩で代々藩主を務める松浦家に生まれます。江戸幕府から明治政府に移行した際には、地方行政職に就き、その後は中央の政治家としても活躍します。文芸の分野では、茶道の石州流鎮信派の家元であり、書家としても活躍しました。松浦詮の掛け軸は、真作であれば数万円から取引されており高値が期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「松浦 詮」についての概要

松浦詮は、茶道の石州流鎮信派の家元でした。これは第4代平戸藩主の松浦鎮信(天祥)が興した武家茶道の一派、鎮信流の流れを汲むものとされています。1880年(明治13年)、猶興書院(現在の長崎県立猶興館高等学校)を設立したほか、女子学習院や日本女子大学などで婦女子教育の一環としての茶道を指導しました。

3.掛け軸作家「松浦 詮」の生い立ちや歴史

松浦詮は1849年(嘉永2年)に伯父で先代藩主の松浦曜の養子となり、1855年(安政2年)には将軍徳川家定に御目見します。1858年(安政5年)に家督を相続、1868年(慶応4年)に上洛し、倒幕を主張する新政府側に属します。1869年(明治2年)の版籍奉還に伴い知藩事に就任、同年4月には従四位下に昇進します。1870年(明治3年)、上局副議長に就任し同年9月に正四位に昇進を果たします。1871年(明治4年)の廃藩置県により知藩事を免職し、宮内省御用掛となります。1884年(明治17年)に伯爵となり、1890年(明治23年)に貴族院に当選し3期を務めます。晩年は猶興書院の設立や茶道の指導に尽力しました。

4.松浦 詮の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

掛け軸の買取は、鑑定が難しいため知識や情報がないと損をしてしまう可能性があります。松浦詮の作品も例外ではありません。松浦詮の作品であると証明できることや、傷やしみがない状態であればプラス査定が期待できるでしょう。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 松浦詮本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 素材の質、種類
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)

5.松浦 詮の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

松浦詮の掛け軸作品はネットオークションで、真贋不確かなものでも数千円程度から数万円で取引されています。真作を保証するものであれば、例えば『山紅葉和歌懐紙』という作品では、表装サイズ縦約115cm×横約57cm、本紙サイズ縦約33cm×横約46cm、「真作保証」、「紙本肉筆」、作品状態は「表具シミ、イタミ、本紙多少シミあり」とするものが、30,000円で落札されています。

6.松浦 詮の掛け軸作品の買取についてのまとめ

松浦詮は肥前国平戸藩最後の第12代当主にして、武家茶道の流れを組む石州流鎮信派の家元でした。晩年は婦女子教育の一環として茶道の普及指導に尽力しました。松浦詮の掛け軸作品は、真作は数万円で取引きされており高値が期待できます。作品を所有されている方は是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。