松浦 松洞(まつうら しょうどう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.松浦 松洞の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

松浦松洞は1837年長州藩に生まれた日本画家です。本名は温古、通称は亀太郎。日本南画家の羽様西崕に師事し画技を学び、その後は京都に出て四条派の小田海僊に師事し研鑽を重ねていきました。漢詩を学ぶため入門した吉田松陰の松下村塾で尊王攘夷運動に感化され志士として参加し、画家としてだけでなく攘夷志士として人気を博しており、その当時に描いた吉田松陰の肖像画などが評価されています。その作品は画技の高さからも人気があり、真作であれば高値がつく可能性もあります。

このページの目次

2.掛け軸作家「松浦 松洞」についての概要

松浦松洞は吉田松陰の肖像画を描いたことで有名になった人物で、日本画家でありながら尊王攘夷運動に参加し、その道半ばにして切腹しなくなった人物です。尊王攘夷志士として活動を始める前は日本南画をよくしていましたが、運動に参加した後は肖像画などを種として活動していました。吉田松陰が獄中にいる際に描いた肖像画からは当時やつれて疲弊していたにも関わらず、画に映る松蔭は生気に満ちており肌つやもよく尊敬の念が画から溢れていました。尊王攘夷志士としても広く知られ、時代とともに生きた画家として、今も人気を集めています。

3.掛け軸作家「松浦 松洞」の生い立ちや歴史

松浦松洞(本名は温古、通称は亀太郎)は1837年、長州藩に生まれました。幼少より画のみちを志し、四条派の日本南画などを得意とした羽様西崕に師事し画法を学びます。その後京都に出て中国元明時代の古書画の模写をするなどして研究を重ねて、独自の画風を確立した小田海僊に師事し研鑽を重ねました。1856年、20歳になると絵画研究のため漢詩を学びに吉田松陰の松下村塾に入門します。しかし、そこで学び尊王攘夷運動に参加するようになり志士として活動しました。その頃から吉田松陰の肖像画を描くようになります。26歳、尊王攘夷の活動より京都粟田山にて切腹した。

4.松浦 松洞の掛け軸作品の代表作一覧

  • 吉田松陰肖像画

5.松浦 松洞の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

松浦松洞は題材が吉田松陰の肖像画ということから人気が高く、オークションでも出回っていますが、贋作や、真贋鑑定がなされていないものも多く出回っています。真作であるかどうかが非常に重要なポイントであるため、証明書や鑑定書がある場合は高額査定が期待できます。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 松浦松洞の真作か(真贋鑑定の証明書などの有無)
  • 画の大きさ
  • 箱書きの有無
  • 署名や落款印の有無
  • 画の状態

6.松浦 松洞の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

松浦松洞の画は比較的多く出回っていますが、真贋鑑定されていないものも多く、価格は5,000円~200,000円とかなり幅広い値がついています。過去ネットのオークションで取引されたものの中では132,500円の値がついての取引実績が残っています。この作品は、吉田松陰の肖像画を描いたもので、真贋鑑定をされてはいないものです。サイズは縦202.5cm横49.1cm、本紙が縦112cm横36.3cmで共箱もついているものでした。

7.松浦 松洞の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

画家でありながら尊王攘夷運動で自害した松浦松洞。確かな画技と、吉田松陰の肖像画という題材から非常に人気が高く、今も多くの人を魅了しています。真贋の鑑定次第ではかなり高額の値がつく可能性があります。お手元に松浦松洞の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度お問合せくださいませ。