皆川 淇園(みながわ きえん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.皆川 淇園の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

皆川淇園は江戸時代に活躍した儒学者で、名は愿(げん)、字は伯恭(はくきょう)、通称は文蔵(ぶんぞう)と名乗り、号は淇園(きえん)と称しました。甥には国学者の富士谷御杖がいます。儒学・易学に精通し、晩年に京都で「弘道館」を開きました。詩文、画も堪能で、画は円山・四条派開祖の円山応挙に師事しました。皆川淇園は著名なため、真作を証明するの書や山水画であれば高値の取引きが期待できます。

このページの目次

2.掛け軸作家「皆川 淇園」についての概要

皆川 淇園の門人は3,000人を数え、門弟として富士谷成章、巖垣龍渓、小浜清渚らを輩出しました。儒学、易学の私塾を開く一方で、詩文や絵画にも造詣が深く、とりわけ山水画では、師の円山応挙に劣らずといわれるほど、卓越した腕を持っていました。画ははじめ望月玉蟾に学び、のちに円山応挙に師事したといわれています。

3.掛け軸作家「皆川 淇園」の生い立ちや歴史

皆川淇園は1735年に京都で皆川春洞の第二子として生まれました。三宅元献や伊藤錦里を師事して儒学を学び、さらに易学についての研究を深めていきます。皆川淇園は、「名」と「物」との関係を解釈する独自の言語論を確立し、「老子」や「荘子」、「列子」、「論語」などの経書に注釈書を著しました。その後淇園は、亀山藩や平戸藩、膳所藩などの藩主に賓師として招かれるようになります。1759年(宝暦9年)には京都の中立売室町西で門人を受け入れ始めた頃、赤松滄洲や柴野栗山らと三白社という詩社を起こしました。晩年の1805年(文化2年)には藩主の援助を受けて「弘道館」という学問所開き、その翌年74歳で死去しました。

4.皆川 淇園の掛け軸作品の代表作一覧

  • 易原
  • 易学開物
  • 実字解

5.皆川 淇園の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

高額となる条件としては、皆川淇園の真作であるといえるかどうかが重要です。その他では、シミ、シワ、折れなどはないか、印や落款があるか、箱の有無は、作品のサイズはどれくらいかといったことによっても査定結果は変動します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)
  • 皆川 淇園本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 素材の質、種類

6.皆川 淇園の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

皆川淇園の掛け軸などの作品は、ネットオークションで真贋不確かなものでも数千円程度から数万円で取引されています。真作を保証するものであれば、例えば『松前道広候新製大砲詩』という作品で表装サイズ縦約199cm×横約55cm、本紙サイズ縦約133.5cm×横約42cm、「紙本肉筆」、「真作保証あり」、作品状態は「シミ、オレ、傷ミあり」とするものが、34,501円で落札されています。

7.皆川 淇園の掛け軸作品の買取についてのまとめ

皆川淇園は儒学、易学を修め、詩文、画でも才能を発揮した多芸な人物でした。ネットオークションでは著名な作家の図に、皆川淇園の書が添えられている作品は、真作であれば数万円で取引きされています。皆川淇園の掛け軸作品を所有されている方は、是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。