水野 廬朝(みずの ろちょう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.水野 廬朝の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

水野廬朝は、1748年(寛延元年)に旗本の家で生まれ、幕府の公務に就く傍ら、浮世絵師とて活躍しました。北尾重政を師事し画法を学び、北尾派風の作品を多く残していますが、『美人文読み図』、『向島桜下二美人図』などの作品は喜多川歌麿や豊国の美人画と共通するような特徴が窺える作品も残しています。

このページの目次

2.水野 廬朝の掛け軸作品についての概要

水野廬朝は、1789年〜1818年(寛政から文化の末年)にかけて、鳥居清長の画風に似た肉筆美人画を描いています。幕府の公務につき、資金が潤沢にあったことから、作品の大変は絹本に極彩色を施し、絵の具も当時の最高級品を使用していました。描かれている美人の着衣の模様や、その周辺にある物も、細密かつ華麗な雰囲気が表現されており、廬朝独自の様式を打ち出していると評されています。

3.水野 廬朝の掛け軸作品の歴史や情報

水野廬朝は、1748年(寛延元年)に、1450石取りの旗本の武家に生まれました。江戸の浅草鳥越町で暮らしており、自宅を「清線館」と名付けていました。北尾重政を師事して浮世絵を学び、俳諧は谷素外に付いて会得します。1768年(明和5年)に西丸御小姓の任に就いてから、1824年(文政7年)に辞職するまで、公務の役職につきます。幕府の公務の合間を縫って、俳諧をたしなみ、一方で浮世絵美人画を描いていました。1793年(寛政5年)に俳諧本の『俳諧世吉之物競』を3冊、1796年(寛政8年)に絵本『多能之美種』を3冊著しています。水野廬朝の作品は、これら版本の挿絵以外は、すべて肉筆美人画でした。

4.水野 廬朝の掛け軸作品の代表作一覧

  • 桜下美人図
  • 向島桜下二美人図(1802年)
  • 鱗斎(1821年)
  • 桜下の花魁と禿

5.水野 廬朝の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

掛け軸の買取は、鑑定が難しいため知識や情報がないと損をしてしまう可能性があります。水野廬朝の作品も例外ではありません。水野廬朝の作品であると証明できることや、傷やしみがない状態であればプラス査定が期待できるでしょう。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 水野廬朝本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があればなお良い)
  • 作者の署名(銘)があるか
  • 付属品は揃っているか(共箱・共布・栞などが残っているか)
  • 軸や画の素材は何でできているか
  • 保存状態は良好か(欠けなどはないか)

6.水野 廬朝の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

水野廬朝の掛け軸は、ネットオークションでの取引数が少ないため、水野廬朝の真作であれば高値の取引が期待できる可能性があります。取引相場価格は、サインや落款が確認できるか、また保存状態は良好かによって大きく査定価格が変動します。もし水野廬朝作品をお持ちでしたら是非お問い合わせください。

7.水野 廬朝の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

本文水野廬朝は武士でありながら、北尾重政を師事して画法を学び、公務の合間に俳諧をたしなむような多芸な作家でした。現存している作品は東京国立博物館などに所蔵されており、歴史的価値が認められています。水野廬朝作品を所有されている方は是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。