村瀬 玉田(むらせ ぎょくでん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.村瀬 玉田の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

村瀬玉田は明治・大正時代に活躍した京都の日本画家です。明治期に巻き起こった日本画の新旧過渡混乱期において、時流に左右されることなく正統四条派を継承し、国内外にその画力を知らしめました。山水や花鳥において特に画名が高く、皇室・宮内省の御用命をしばしば受けた画家です。買取価格にも期待が持てるでしょう。

このページの目次

2.掛け軸作家「村瀬 玉田」についての概要

村瀬玉田(1852年~1917年)は京都画壇のみならず、東都画壇でもその技量が認められる存在でした。龍池会にも参加し、東洋絵画共進会の審査員に推挙されています。龍池会が日本美術協会に移行した後も高位受賞を重ね、審査員や委員を歴任するなど伝統保守派の中軸的役割を果たしました。四条派の流れを受け継ぎ、写実的描写の山水・花鳥に妙技を見せました。

3.掛け軸作家「村瀬 玉田」の生い立ちや歴史

村瀬玉田は嘉永5(1852)年、京都上京頭町に榎伝兵衛の子として生まれました。本姓は榎、名は徳温、通称は清次郎、別号に彩雲亭があります。幼少時より画を好み、13歳で四条派の村瀬双石に入門したのち養子となり、横山清暉、塩川文鱗にも師事します。また漢学を松尾香鳥、宮原龍に、和歌を渡忠秋に修めています。20代に近江、美濃、尾張、武蔵、丹波など各地を巡遊したのち、明治13(1880)年には京都府画学校に出仕します。その後、内国絵画共進会や京都博覧会、東洋絵画共進会などでも受賞を重ね、パリ万博、セントルイス万博、日英博覧会など海外の博覧会にも出品し、御用画も度々つとめました。大正6(1917)年没、66歳でした。

4.村瀬 玉田の掛け軸作品の代表作一覧

  • 雉子図
  • 柳鷺
  • 水天蓼睡猫図(1895年)
  • 雨中雷豆鷺図(1904年)
  • 風中牡丹(1911年)

5.村瀬 玉田の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

作品の買取査定ポイントとして、真作であるかという点が重要なポイントです。確かな落款や印であるほか、共箱や箱書があるとよりよいでしょう。また画題やサイズ、保存状態、仕立てなども買取価格に大きく影響します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 展覧会などの出品歴がないか
  • 確かな落款や印があるか
  • 画題はなにか
  • どのような仕立てか
  • 付属品の欠けはないか
  • 保存状態は良好か

6.村瀬 玉田の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

村瀬玉田の作品はネットオークションなどで、真贋不確かなものでも159,888円で落札された実績があります。『孔雀白梅図』という絹本着色大幅の作品で、サイズは掛軸全体が232cm×88cm、本紙が156cm×70cm、状態は「シミ、少し折れ有り」と記されていました。

7.村瀬 玉田の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

村瀬玉田は国内外の多くの展覧会に活躍し、また御用画を度々つとめる画力の高い作家でした。その門には師事を求める者で溢れたと伝わります。画壇に確固たる地位を築いた画家として買取価格に期待ができます。もし村瀬玉田の作品をお持ちでしたら、一度査定に出されてみることをお勧めいたします。