中山 高陽(なかやま こうよう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.中山 高陽の作品を売りたいお客様へ

中山高陽は、享保2年(1717年)から安永9年(1780年)まで活躍した南画、画家、書家、漢詩人です。画を描くという事よりも詩人として優れ庶民から信用を得ていました。途中で家が燃え、それがきっかけで全国を回り作品を残しています。

このページの目次

2.中山 高陽についての解説

中山高陽は、南画だけではなく儒学や漢詩、書にもたけていたと言われている人物です。はじめは土佐で画を開塾して人気を博し、のちに江戸でも開塾をします。土佐では名は知らぬ者はいないと言われるほどの人物でした。1772年に家が焼失し、それがきっかけで陸奥国(東北地方)へ旅立ちそこで書や絵や詩を書いて回ったと言われています。

3.中山 高陽の歴史

中山高陽は幼いころから聡明であったと言われ詩・書・画すべてにいて凡人とは明らかに違った人物であると言われています。交友の深かった井上金峨の賛、沢田東江の書、高陽の画を合わせて「三絶」と評されるほど江戸庶民の人気を得たともいわれており、その当時の人気をうかがわせます。地元でもある土佐や江戸でも開塾しており、教えるのにもたけていた人物です。家が燃えると陸奥国に行き、熱海紀行を書いたと言われています。当時としては南画は江戸では浸透していなく、それを広めた第一人者ともいわれています。

4.中山 高陽の代表作

  • 鳳凰孔雀図
  • 塩釜観月図
  • 八州勝地図
  • 蘭亭曲水図巻

5.中山 高陽の作品の買取査定ポイント

中山高陽は詩・書・南画と様々な才能に特化し、世の中にその才能をしらしめ、様々な作品を世の中に出していきました。家が燃えると東北地方へも旅立ち、そこでも様々な作品を世に広め、作品は全国各地にあるとされてもいます。それだけに現存している作品は存在しておらず、複写されているものが多いです。本人の作品ならば、値段は急激に跳ね上がるでしょう。

代表的な査定ポイント
  • 真作であること
  • 作品の希少性
  • 作品の状態

6.中山 高陽の作品の取引相場価格

中山高陽の作品は、凄く数が少なくて本人の作品は出品されていません。そして出品数自体も一件しか存在していませんでした。ですが、それでも値段は8万円でとても高額なものです。サイズとしましては、掛け軸ですと青緑渓山帰荘図という作品では縦95センチ、横32センチと少々小さ目な作品です。複写されている作品でも8万円と高額な値が付いているので、もし本人の作品が見つかったのならば、それはとんでもなく高額な値が付くことでしょう。

7.中山 高陽の作品の買取についてのまとめ

中山高陽は、幼いころから聡明で全国各地でさまざまな南画を書いたとされている人物です。作品の出品数自体が少なくて、本人の作品は存在してないからこそ複写でも高額な値が付いています。もし本人の作品があるのなら査定してみてはいかがでしょうか?