大橋 翠石(おおはし すいせき)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.大橋 翠石を売りたいお客様へ

大橋翠石は1865年岐阜県に生まれた日本画家です。明治から昭和にかけて活躍しました。特に虎の絵に関して評価が高く「虎の翠石」とまで呼ばれた程です。翠石の描く虎はまるで本物のように躍動感や生命力に満ち溢れていたと言われています。 1900年のパリ万国博覧会に出展したことで、その実力は日本のみならず海外にも知れ渡りました。翠石はそのパリ万博で優勝金牌を受賞しています。その活躍から明治天皇や皇后などにも絵を献上しており、今もなお高い評価を得ている画家の一人です。

このページの目次

2.大橋 翠石についての解説

大橋翠石は明治から昭和の日本画家です。幼少の頃より絵を描くことが好きで、南画家の戸田葆堂に師事しました。その後東京にて渡辺小崋に入門。見せ物小屋にて虎を初めて見たことをきっかけに虎画の製作を行うようになりました。特に毛並みの表現は緻密であり、当時から高い評価を得ていました。虎の絵の激しさとは裏腹に翠石自身は大人しい人柄だったいわれ、名声にこだわることなく好きな絵を淡々と書き続けました。 虎を代表とする動物画に定評がありますが、その他の山水や蛍などの静けさのある題材も描くなど画域の広い人物でした。

3.大橋 翠石の歴史

1865年岐阜県で染め物問屋を営む家の次男として生まれました。本名は卯三郎。通称は宇一郎。戸田葆堂らに絵の手ほどきを受けたあと上京。東京にて渡辺小崋の元へ入門しました。その後母の急死に伴い帰郷、1891年濃尾大震災により父をも無くしました。 震災後から虎の絵を精力的に描くようになり様々な展覧会に出展。特に1900年のパリ万国博覧会に出品した「猛虎」は国内外から高い評価を受け、金牌を受賞。また次いでセントルイス万国博覧会、日英博覧会などでも連続して金牌を受賞しました。 1912年頃から神戸市須磨に転居。この頃から独自の背景表現、通称「須磨様式」を完成させました。終戦を迎えたばかりの1945年8月31日に死去。享年81歳。

4.大橋 翠石の代表作や作者

「乳虎之図」   「墨虎」 「虎図」  1938年 岐阜県美術館

5.大橋 翠石の買取査定ポイント

まずは大橋翠石の真作であるかどうかが重要となってきます。真作であれば鑑定書や証明書が有ったほうがより高額査定となるでしょう。また保存状態が良いか、箱があるかなどの一般的な骨董品の査定ポイントもあてはまります。
  • 大橋 翠石の真作か(証明書や鑑定書はあるか)
  • 大きさはどれくらいか
  • 保存状態は良好か(箱などはあるか)

6.大橋 翠石の取引相場価格

大橋翠石の掛け軸はやはり虎の図が人気があります。しかし真贋鑑定がなされていないもの、証明書がついていないものは約2~4万円前後です。しかし虎の図は人気があるため、図によっては真贋保証が無くとも約14万円の値がついたこともあります。 もし本物の肉筆画であれば、数十万~数百万円の値がつく可能性もあります。

7.大橋 翠石の買取についてのまとめ

日本国内のみならず、海外でも高い評価を得た日本画家、大橋翠石。彼の描く虎はまるで本物のように勇猛で見るものを魅了しました。晩年からは洋画に影響を受けたとされ、濃密な背景を描くようになりました。この様式を須磨様式と呼び、その真に迫る画風はとても人気があり評価も高いものとなっています。 掛け軸でも虎の図が人気となっています。そのため、鑑定書がなくとも数万~十数万円の査定額になることも。もし真作の肉筆画であれば、さらなる高額が期待できるでしょう。