岡本 太郎(おかもと たろう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.岡本 太郎の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

岡本太郎は、1911年(明治44年)神奈川県で芸術一家で生まれ、前衛的な抽象画の芸術様式を日本で確立させた一人として知られています。オブジェや壁画、絵画で有名な岡本太郎ですが、掛け軸作品も現存しています。岡本太郎の真作であれ希少性が認められば高値がつく可能性があります。

このページの目次

2.掛け軸作家「岡本 太郎」についての概要

岡本太郎は、芸術一家に生まれ、複雑な親子関係のなかで育ち、権威を振りかざす者や自由や権利を阻害する者に対して、反抗してきました。この反抗心は生涯に渡って貫いており、それが創作への意欲に繋がっていたと評されています。岡本太郎は自身の著書『今日の芸術』のなかで、芸術は「うまくあってはならない。」と宣言しています。これは小手先の技術や美しさ、心地よさは芸術の本質とは関係がないと著しており、むしろ不快感を含め、見る者を激しく引きつけ、圧倒することこそが真の芸術と説いています。

3.掛け軸作家「岡本 太郎」の生い立ちや歴史

岡本太郎は、1911年(明治44年)神奈川県で、漫画家岡本一平と歌人で小説家のかの子の長男として生まれました。幼少の頃より絵を好み、盛んに描いていましたが、中学校時代には「何のために描くのか」という葛藤を持つようにようになります。東京美術学校へ進学後、太郎は父の渡欧に同行するために休学し、1930年(昭和5年)にパリに到着します。岡本太郎は、そこからじつに10年間をパリで過ごすことになります。1939年(昭和14年)にポール=ローザンベール画廊でパブロ・ピカソの「水差しと果物鉢」を見た太郎は、抽象画の芸術様式に強い感銘を受け、「ピカソを超える」ことを目標に掲げます。戦後は東京都世田谷区上野毛にアトリエを構え、ふたたび制作活動に没頭します。1948年(昭和23年)に 花田清輝らと「夜の会」を結成、 1950年(昭和25年)には植村鷹千代らと日本アヴァンギャルド美術家クラブを創立し、精力的に活動します。1954年(昭和29年)に出版された著書『今日の芸術 時代を創造するものは誰か』は、従来の芸術観に一石を投じるベストセラーになりました。代表作は、1960年代後半にメキシコ滞在時に制作した壁画の「明日の神話」、1970年(昭和45年)に開催された大阪万国博覧会で展示された「太陽の塔」がよく知られており、「太陽の塔」は、1975年(昭和50年)に永久保存が決定し、大阪府吹田市に現存しています。岡本太郎は80歳のときに、所蔵する自作品を川崎市に寄贈し、川崎市は1999年(平成11年)に岡本太郎美術館を開館しました。

4.岡本 太郎の掛け軸作品の代表作一覧

  • 敗惨の歎き(1924年)
  • 顔(1952年)
  • 明日の神話(1968年)
  • 太陽の塔(1970年)
  • 疾走する眼(1992年)

5.岡本 太郎の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

岡本太郎の真作を保証するものが付いていると査定価格は高くなるでしょう。ほかにも仕立てやサイズ、画題などもあわせて総合的に評価されます。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 岡本太郎本人の作品(本物)かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)
  • 掛け軸の素材の質、種類
  • 付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)

6.岡本 太郎の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

岡本太郎の掛け軸作品は、ネットオークションでの取引数が少ないため、真作であれば高値の取引が期待できる可能性があります。取引相場価格は、サインや落款が確認できるか、また保存状態は良好かによって大きく査定価格が変動します。もし岡本太郎作品をお持ちでしたら是非お問い合わせください。

7.岡本 太郎の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

岡本太郎は昭和を代表する芸術家として多くの作品を残しており、川崎市にある岡本太郎美術館で作品にふれることができます。数は多くありませんが、掛け軸作品も残しており、その希少性の高さから真作であれば高値が付く可能性があります。岡本太郎の掛け軸作品を所有されている方は、是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。