奥村 土牛(おくむら とぎゅう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.奥村 土牛を売りたいお客様へ

奥村土牛は1889年生まれの日本画家です。梶田半古や小林古径に学びました。刷毛や胡粉などを使用し、独特の色合いを作りだすのを得意としました。現代を代表する日本画家の一人とも言われ、その作品は皇居にも飾られています。1962年に文化勲章を受賞。昭和22年から四年間滞在したことから、長野県に奥村土牛記念美術館が作られました。ここには奥村土牛の素描が約200点以上所蔵されています。 その柔らかな色彩で描かれた風景画は、今も多くの人を魅了しています。

このページの目次

2.奥村 土牛についての解説

奥村土牛は東京都生まれの日本画家です。「土牛」という号は「土牛石田を耕す」という寒山詩から父が名付けました。刷毛や胡粉などを使用し、100回~200回も塗り重ねたことで生じる絶妙な色合いが魅力の作家です。 梶田半古や小林古径に師事。院展、中央美術展、巽画会などに出品を行いました。1927年の院展で「胡瓜畑」が初入選、1929年の院展では「蓮池」が日本美術院院友に推挙されました。東京美術学校で講師をつとめ後進の育成もあたりました。 温かく柔らかな色彩と、現実感に満ちた画面構成が魅力の画家です。

3.奥村 土牛の歴史

奥村土牛は1889年東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)に生まれました。本名は義三。 1905年に梶田半古の元へ入門し、塾頭であった小林古径に日本画を習います。1907年の東京勧業博覧会にて「敦盛」が入選。1923年中央美術社第5回展「家」が中央美術賞を受賞しました。 その後院展に出品し、1927年「胡瓜畑」で初入選しました。1935年帝国美術学校(現・東京芸術大学)にて日本画家教授に就任。その後も美術展や講師をつとめますが、1945年空襲により家を無くし疎開。1947年帝国芸術会員、1959年日本美術院理事となりました。 1962年にはこれまでの功績により文化勲章を受賞。1980年には東京都名誉市民となります。 1990年101歳にて永眠。数多くのスケッチを残し、奥村土牛記念美術館などに収蔵されています。

4.奥村 土牛の代表作や作者

「鳴門」  1959年 「醍醐」  1972年 「寅」   1985年

5.奥村 土牛の買取査定ポイント

まずは奥村土牛の真作であるかどうか査定のポイントになります。奥村土牛は複製画も販売されていますので、肉筆画か複製画かを見分けることが重要です。肉筆画の真作であれば証明書や鑑定書があれば高額査定になりやすいでしょう。 その他、保存状態が良い、箱があるかなどの骨董品の査定ポイントもあてはまります。
  • 奥村土牛の真作か(鑑定書や保証書などはあるか)
  • 保存状態は良好か
  • 大きさはどれくらいか

6.奥村 土牛の取引相場価格

複製画の掛け軸ですと数千円程です。真贋鑑定を行っていないものでも、箱入りで状態が良ければ約3~5万円程の値がつくこともあります。鑑定を行っているが証明証が無いもの(箱付き)ですと、約8万円の値がついたことが過去にあります。もし真作の肉筆画であれば、数十万以上の値がつく可能性もあります。

7.奥村 土牛の買取についてのまとめ

刷毛と胡粉を使用した絶妙な柔らかな色合いと、現実感に満ちた凛とした画面構成が人気の画家、奥村土牛。その評価は高く、皇居にも作品が飾られています。筆が遅かったと言われていますが、101歳の大往生を遂げたため作品(スケッチを含め)が数多く残されています。作品は主に東京の山種美術館や長野県の奥村土牛記念美術館に納められています。 肉筆画の掛け軸はあまり市場に出回りませんが、もし肉筆画の真作であれば高額査定の可能性もあります。