淡海 槐堂(おうみ かいどう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.淡海 槐堂の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

淡海槐堂は、近江国(現在の滋賀県)で生まれた勤王家・文人・漢詩人です。明治期に京都を代表する文人だった江馬天江は、淡海槐堂の実弟にあたります。槐堂は勤王家で幕末の志士に資金を援助するなどして支えていました。槐堂が残した掛け軸作品には重要文化財に指定されているものもあり、真作が保証される作品であれば高値が期待できるでしょう。

このページの目次

2.掛け軸作家「淡海 槐堂」についての概要

淡海槐堂は、梁川星巌を師事して漢詩を学び、篆刻や書画にも才能を発揮しました。実弟の江馬天江が編纂した『高古印譜』には、槐堂が刻した印影が多く掲載されています。淡海槐堂の名は、『円山勝会図録』にも確認でき、煎茶も嗜んだことが窺えます。日本の重要文化財に指定されている「梅椿図」は、龍馬の誕生祝いに槐堂が贈ったとされており、京都国立博物館所蔵に所蔵されています。この掛け軸には、近江屋で龍馬と中岡慎太郎が暗殺された際の血痕が残されており、「坂本龍馬関係資料」の貴重な1点とされています。

3.掛け軸作家「淡海 槐堂」の生い立ちや歴史

淡海槐堂は1823年(文政5年)、近江国坂田郡中村(現在の滋賀県長浜市)で下坂篁斎の子として生まれますが、3歳のときに薬種商武田家の養子となります。1855年(安政2年)、醍醐家に仕えた功績が認められ、筑前守に任ぜられ板倉姓を賜り、従六位を叙されました。勤王の志が篤く、長州藩や天誅組、七卿落ちなどへ資金援助し、坂本龍馬や中岡慎太郎らを支えました。「禁門の変」により幕府に捕らえられ、獄中の身となります。のちに赦免され自由の身となると、1868年(慶応4年)大津裁判所参謀や宮内中録に任命され、姓を淡海(おうみ)と称しました。しかし、新政府との意見が折り合わず、辞任すると1870年(明治3年)に位記を返上し、槐堂と号して文雅三昧に暮らしました。

4.淡海 槐堂の掛け軸作品の代表作一覧

  • 梅椿図

5.淡海 槐堂の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定にあたっては淡海槐堂の確かな落款や印があることが重要です。真作を証明できる鑑定書や書付があるとなおよいでしょう。保存状態やサイズ、仕立てによっても大きく査定金額が変動いたしますのでご留意ください。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 淡海槐堂本人の作品かかどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 素材の質、種類
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)

6.淡海 槐堂の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

淡海槐堂の掛け軸作品はネットオークションで、真贋不確かなものでも数万円で取引されています。模写作品でも例えば『墨蘭画賛』という作品では、サイズは表装全体寸縦約193.5cm×横約50cm、本紙寸縦約136cm×横約32.6cm、「紙本肉筆」、作品状態は「シミ、古色、折れ皺、表装に破れなどあり」とするものが、30,500円で落札されています。

7.淡海 槐堂の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

淡海槐堂は長崎からカメラを取り寄せ自ら撮影に取り組むなど、進取の気性に富んでおり、新しい時代の幕開けを望んだ勤王家の一人でした。淡海槐堂の掛け軸作品は、真作であれば歴史的価値が認められる可能性があるため、高値が期待できます。作品を所有されている方は、是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。