小野 湖山(おの こざん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.小野 湖山の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

小野湖山は、1814年(文化11年)に近江国(現在の滋賀県)で生まれた明治時代の漢詩人です。漢詩文が隆盛していた明治時代初期において、鱸松塘、大沼枕山とならび明治の三詩人と称されました。小野湖山の掛け軸は真作が証明できるののであれば高値が期待できる作家です。

このページの目次

2.掛け軸作家「小野 湖山」についての概要

小野湖山は勤皇の念が篤かったため、安政の大獄のときには湖山の身を案じた藩が命を守るために吉田城内に幽閉します。桜田門外の変以降、幽閉が解かれると藩政に尽力します。維新後は明治政府の要職に就きますが、1873年(明治6年)頃に辞職し、詩文の道に専念しました。明治初期は漢詩文が隆盛の時代であり、小野湖山は名高い詩人のひとりでした。のちに大阪に「優遊吟社」を結成し、作品として詩集の『湖山楼詩鈔』を残しています。

3.掛け軸作家「小野 湖山」の生い立ちや歴史

小野湖山は1814年に近江国浅井郡で医家の長子として生まれました。湖山ははじめ家業を継ぐために彦根藩医に医術を学びますが、本意ではなく好む所ではありませんでした。湖山は医業を目指さず、儒者の大岡右仲に経書史書を学び、1826年(文政9年)に京都で頼山陽との出会いをったことから、朱子学漢詩を修めることを決意します。1830年(天保元年)、九州を訪れた際に面会した梁川星巌に入門を許可され、翌年江戸で尾藤水竹、林大学頭、藤森弘庵らに師事します。明治維新後は総裁局権参事、記録局主任に就き国事に尽力しましたが、短期間で辞職しその後は詩文に専念しました。

4.小野 湖山の掛け軸作品の代表作一覧

  • 湖山楼詩鈔

5.小野 湖山の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

高額となる条件としては、小野湖山の真作であるといえるかどうかが重要です。その他では、シミ、シワ、折れなどはないか、印や落款があるか、箱の有無は、作品のサイズはどれくらいかといったことによっても査定結果は変動します。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 市場価値はあるか(有名作家の作品なら多少劣化していても高値が付きます)
  • 小野湖山本人の作品かどうか(サインや落款が確認できるか、いつの時代の作品であるか)
  • 欠けなどがなく保存状態は良好か(補修せずにそのままお持ちください)
  • 掛け軸の付属品の欠けはないか(共箱・共布・栞などが揃っているか)
  • 素材の質、種類

6.小野 湖山の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

小野湖山の掛け軸作品はネットオークションで、真贋不確かなものでも数千円程度から数万円で取引されています。真作を保証するものであれば、例えば吉田松陰と合作の『書二幅 別号二十一回猛士』という作品で、湖山が手掛けた方の掛け軸は、全体寸縦約192.5cm×横約44.1cm、本紙寸縦約136m×横約30cm、「紙本肉筆」、「真作保証」、「軸先は木」、作品状態は「時代感、多数のシミ、汚れ、強い折れ、巻きじわがあり」、付属品として「合わせ箱」とするものが、70,500円で落札されています。

7.小野 湖山の掛け軸作品の買取についてのまとめ

小野湖山は明治の三詩人と称されるほどの漢詩人作家でした。明治政府で要職を務めた後は、政府の要請を固辞し、詩文づくりに専念しました。現存している作品は他の作家との合作が多いですが、真作であれば数万円から取引きされており高値が期待できます。作品を所有されている方は是非一度査定を検討されることをお勧めいたします。