高井 鴻山(たかい こうざん)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.高井 鴻山の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

高井鴻山は江戸時代の儒学者、浮世絵師です。1806年(文化3年)に信濃国高井郡小布施村で生まれ、京都へ遊学して絵画、浮世絵を学びました。晩年の葛飾北斎と交遊があり、妖怪画は北斎の影響が窺えます。村々の神社旗幟を25体も揮毫しているなど、実力のある作家です。

このページの目次

2.高井 鴻山の掛け軸作品についての概要

高井鴻山は30代の頃、葛飾北斎との交遊が始まり、1842年(天保13年)の秋には小布施の鴻山の元に葛飾北斎が訪れています。鴻山は北斎の画才に惚れ込み、自宅にアトリエを立てて招き入れ、北斎に入門しました。鴻山は、山水画や花鳥画、人物画を得意としていましたが、最も評価を受けた作品は妖怪画でした。これは晩年の北斎との交遊の影響を与えたと言われています。本業の酒造業は明治初期に破産しており、経営者としての才覚は無かったと言われています。

3.高井 鴻山の掛け軸作品の歴史や情報

高井鴻山は、1806年(文化3年)に信濃国高井郡小布施村で酒造業を営む高井家の四男として生まれました。1820年(文政3年)に京都で遊学し、以降16年にわたり、絵画、浮世絵、国学・和歌、儒学・漢詩と多様な学問に勤しむことになります。1833年(天保4年)に江戸に移住し、昌平坂学問所で佐藤一斎に朱子学を学び、さらに蘭学も研鑽しました。1840年(天保11年)に父の死去を受けて高井家を継ぐことになりますが、経営・経理が不得意だったことに加え、大政奉還により献金の約束が反故になったことが影響し借金を負うことになります。1871年(明治4年)には息子に高井家を譲りますが、その3年後に高井家は破産し、開いていた私塾も閉鎖する憂き目にあいます。その後も邸宅が大火に見舞われる不幸が続きますが、晩年に長野町旭町に義塾を開き、1883年(明治16年)に死去するまで後進の指導に努めました。

4.高井 鴻山の掛け軸作品の代表作一覧

  • 妖怪図
  • 象と唐人図
  • もののけ

5.高井 鴻山の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

査定にあたっては高井鴻山の確かな落款や印があることが重要です。また真作を証明できる鑑定書や書付があるとよいでしょう。保存状態やサイズ、仕立てによっても大きく査定金額が変動いたしますのでご留意ください。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 作者の署名(銘)があるか
  • 高井鴻山本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があればなお良い)
  • 軸や画の素材は何でできているか
  • 保存状態は良好か(欠けなどはないか)
  • 付属品は揃っているか(共箱・共布・栞などが残っているか)

6.高井 鴻山の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

高井鴻山の掛け軸などの作品はネットオークションなどでは真贋不確かなものでも数千円程度から数万円で取引されています。真作を保証するものであれば、例えば『妖怪・魔物』という作品でサイズは表紙縦約109cm×横約47cm、本紙縦約29cm×横約36cm、軸先の長さ約52cm、「経年の擦り傷汚れ等有り」とするものが、51,000円で落札されています。

7.高井 鴻山の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

高井鴻山は陽明学の教え「知行合一」の精神で国利民福の信条を貫いた画家です。天保の大飢饉に際しては小布施に帰郷し、祖父同様窮民のために倉を開くなど尽力しました。鴻山の作品をおもちでしたら、ぜひ一度査定に出されてみることをおすすめいたします。